感想
―「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
この、あまりに有名な一節から始まる土佐日記。多くの人が教科書や受験勉強の最中で出会ったことがあるのではないでしょうか。
本作品は平安時代の歌人紀貫之が女性のふりをして書いた日記形式の紀行文。現代風に言えばネカマのブログでしょうか。
実は私にはいまいちでした
そんな1000年前の紀行文ですが、結論から話すと、残念ながら私個人には取り立てて響くところはあまりありませんでした。勿論、現代と違って瀬戸内海や四国近辺に海賊が出てくるとか、或いは平安時代の昔から難波や住吉あるいは山崎(サントリー!)などの地名が出てきたりして、そういう部分は趣深かった。大阪と兵庫に計5年住みましたが、関西や四国に縁のある方は興味深く読める部分はあると思います。
子を亡くし悲しみを書くことで消化した?
ただ、そんなことよりも強く印象に残ったのは、再三にわたり子供を亡くしたとことに言及してある点でした。
紀行文の中の女性主人公は別に子供を亡くしたわけではなく、実際の筆者である紀貫之が赴任地の土佐で娘さんを亡くしたのでした。その心痛を作中の主人公を通して語っているのです。
ふと思い浮かんだのは、筆者は紀行文を書きたかったのではなく、子供を失った悲しみを埋め合わせるかのように作品を作っただけで、作品を仕上げることでカタルシスのようなものを得たのではないか、ということです。
というのも、私も日記というか反省メモを平日ほぼ毎日つけているのですが、気持ちを文字に吐き出すことで結構心が落ち着くのです。多くの人がブログやツイッターから情報を発信する現代なら、表現することによるカタルシスは多くの人に理解できるのではないでしょうか。
幼児の早逝は今以上にありふれた出来事であったはず
また、再三現れる子供を亡くした記述ですが、写本を多く経てもこの内容が残ってきた(印刷技術がなく、手写しによる付加・改変がしばしばあった)ことを考慮すれば、子供を亡くすということは今以上によくある話であったことが想像できます。それを思えば、言う事を聞かないうちの子供達なんてまだかわいいもので、居てくれるだけで幸なのだなあと思った次第です笑 そんなことを思わせる本作は、読後に一抹のもの悲しさを感じさせました。
おわりに
さて、そもそもこの本は、高校受験に挑む古典ちんぷんかんぷの息子に、伊勢物語とか源氏物語、あるいは土佐日記とか常識だから、と私が偉そうに言い切ったことが事の発端でした。子に読ませる前に読んでみて、子を持つ身そして窓際という身から、紀貫之の本作品にはいろいろな点で共感するところがありました。
評価 ☆☆☆
2020/07/17