海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

極私的読書ノートを書く背景についてお話しします(長くてごめんなさい)

 

 昨年12月から始めました本ブログですが、おかげさまで、この8月に100記事目のポストをすることができました。本ページを見てくださった皆様方には厚く御礼申し上げます。

 

 さて、そもそもこのサイトは、おっさんの独り言のようなブログでありますが、驚くべきことに読者登録をなさった方が20名弱もいらっしゃるのです!本当にありがとうございます。え?少ない?いや、めっちゃ多いですよ!まとにかく、意外でありましたが、とっても嬉しいです。そもそもこのサイトは私自身の読書の記録と感想・独白ですので、こんなにも見て頂ける方がいて、有難いやら申し訳ないやら、そんな気持ちになります。

 

 他方、読者様がいるということが、はっきりと他者の視点を意識するきっかけとなりました。自分の気持ちを叫ぶだけの肥溜めにしてはならない、と想い至りました。

 

 そこで今回は、100記事突破を区切りとしまして、私自身のこと、そして書くスタンスや背景について書かせて頂こうと思います。

 

私はそもそもコミュ障気味かもしれません

 私はどちらかというと孤独が平気なタイプだと思います。人とじゃれ合って騒ぐのも楽しいし好きなのですが、生来こらえ性がなく人間関係が面倒になってくる性格です。40歳前後で海外に移住なぞしてしまいましたが、これまでの人間関係が切れても意外と平気です(寧ろちょっとすっきりしている)。友達からの連絡は当たり前ですが、ぐっと減りました。そして45歳で、FBをバッサリ削除。これでもう、LINEなどで実際にリアルにつながっている100人程度とだけ連絡可能な状態。まあLINEも殆ど来ないけど。てか友達少ないだけじゃね?という突っ込み、それ正解です。

 

人はお互いに100%通じ合うことは構造上無理かもしれないという想いも

 じつは、人とつながらなくてもよい、というよりも、自分を分かってもらうとか人と通じ合うことってそもそも不可能なのではないのか、と、うっすら感じている部分もあります。だって、私たちはそもそも同じ世界をちゃんと見ているのでしょうか?

 

 例えば、私は色弱なのですが、赤と茶色の区別が良くつきません。私が妻に『夕日が赤くてきれいだね』と赤茶色の夕日を指さしてしゃべっているとき、妻からは『そうねえ、本当に赤くて綺麗』と返事があっても、彼女の赤は(私とは違って)真っ赤に燦然と輝く赤なのかもしれない。我々は個々別々のユニークな色眼鏡(感覚といってもいいかも)をかけているので、モノそのものを各々が違った色で見えている。だけど同じ言葉で、綺麗、とか、赤い、とか表現している。にもかかわらず見え方とか感じ方は恐らく個々人でまったく違っているのです。

 つまり、いくら言葉を尽くして共有しているシーンや気持ち・風景や感動を表しても、そして相手からは『分かるぅー』とか返事があっても、同じものを見ているのかどうかは不確かなままなのです。勿論同じものを見ているのかもしれませんが、その感じ方ははきっと違うはずで、なのに同じ言葉で表しているのです。

 ヴィトゲンシュタインフッサールモナド論か忘れましたが、学生時代にこうした内容の哲学書を読んで、軽くショックを受けました。気持ちや想いは決して他人と共有できんのかもしれんと。『てか、互いに表面上agreeしてんだから別によくね?』という反論、その通りです。そもそも人の気持ちなんてわかんないし、表面上の合意が実質の合意というのは契約社会では当然ですが。

 

さらにさらに。コニュニケーションは本当に脆い

 加えて最近、コミュニケーションというのは本当に脆弱な基盤の上でのみ成り立っていると感じています。その中でも文字だけの伝達は一番脆い。砂上の楼閣もいいところ。

 相手に何かを理解してもらうシーンで言うと、対面(視覚+音声+言語)で話す際が一番伝わる。表情や声色など、言語の意味以上の含蓄を授受できる。だから私は面接って大事だなと思います。営業で顔を見てプレゼンする重要性は相手の反応をしっかり観察できるからでしょう。次は電話(音声+言語)。物理的に離れており会えない相手とは電話。これで相手の感情や状態はある程度は声色から感じ取れます。例えば、会って謝れない場合は少なくとも電話。そして最後に、言語(二次元の文字)。一番伝達力が弱いのがメールやブログなどの文字媒体だと思います。だからほら、炎上とか良くあるじゃないですか。他部署からのメールにろくに見もせず勝手に逆上し、電話してみると相手は「そういう事じゃなかったのにー」とか、誤解が解けた経験、皆さんありませんか。

 大人になってコニュニケーション力が大事とか会社のお偉いさんが取ってつけたように言いますが、人に何かを伝える、しかも自分の思った通りに伝えるのってめっちゃ難しいのですよ。

 

 そんなこんなで、私、人と100%分かり合うという事など実はできないのではという疑念が心の奥底にあるのです。夫婦喧嘩をするときなぞは特に思います笑(嫁が外人だからか!?)

 

それでもやっぱりつながりたい。わかってほしいし伝えたい

 とはいえ。とはいえですよ、やっぱり何かを伝えたいし分かり合いたいという気持ちも心の奥底にあるのですよ。

 

 これだけ人に何かを伝えるのは難しいとわかっていても、どうにかして自分の思いや考えを人に伝えたいと思っています。気持ちを表したいという気持ちは海外に来てから一層強くなりました。

 

40歳、初海外生活でメタメタ

 その海外の話をします。数年前、アジアの小国に来て仕事を始めた当初、周りの人が何を言っているのか全く分かりませんでした。でも英語はまあできる方でした。20年前に初めて受けたTOEICは800点くらい(今頃さび付いてんじゃん)、かつて紙で受けたTOEFLは610点くらい(紙ベースなんてみんな知らないか)、変な自信もあったのです。しかし、生の英語、しかもアジア訛りがあるなか、業務知識もない私にはかなり厳しい戦いでした。

 

 ある日、別の部署の人間複数人(ローカル)から私の上司にメールがありました。『オヤジとはもう仕事をしたくない。何度説明しても同じことを聞いてくるし、そもそも奴のいっていることが理解不能』そんな内容のメールでした。営業上がりの、わからなかったら聞く、何度でも聞く、分かるまで聞く、等々の走りながら考える(走り出してから考える)スタイルはその相手には時間泥棒以外の何物でもなかった。40歳にして、自分が何もできず、経験も知識も累積されて居ないことを自覚し、何にもできねえじゃんという周りの空気をひしひしを感じました。

 

 その時は本当に悔しかった。でもその悔しさも表現する手段もありませんでした。吐露する相手もいませんでした。

 

 自分は仕事でいっぱいいっぱいだけど、子供達は慣れない外国生活で英語が分からないとギャーギャー言っているし、嫁は嫁で何だかギャーギャーいっているし、自分は仕事ができず終わらずでなかなか帰れないし、40過ぎのおっさんが日本戻ってもだれも雇ってくれねえだろうし、なんか詰んだわ、という悲壮感のもと生きていました。

 

 幸い、私はこの地で非常に優秀なメンターに会うことができました。それから、メンターの助けを得、本や周囲に学び、試行錯誤をし、振り返り、軌道修正をし、5年程度かかって、現在生活は大分まともになりました。その間、体を壊したり、かつて身体的不調が出た部分に再度不安が出たり、健康から、心から、家庭から、お金から、子供の教育から、もうあらゆることで地盤沈下がおきていました。

 

40歳での挫折が本ブログの核

 私がブログで感想で残す本は、こうした40歳で落ちた谷底から海抜0メートルまで上がってくる時以降に読んだ本です。

 そうして読んだ本には多少なりとも理由があります。デキメンになりたい、再読して内容を深く理解したい、体のメカニズムを知って健康に気をつけたい、子供をまともに日本語を喋れる人にしたいとか。或いはカタい本を読んで疲れたから、何も考えなくてよい本を読みたいとか。

 

 ですので、書評というスタイルの書き物をする場合、私の場合は、書評という名を借りた一種の自己紹介になっているかもしれません。なぜその本を選んだのか、誰かからその本を薦められたのか、その本を読んで何が変わったのか、その本を読んでどう感じたか。そうした背景情報をコンパクトに記述しておきたい。その上で、私という人間からして本が良かったのか悪かったのか、特に当たり障りのない出来であったのかを書きたいと考えています。

 

 逆に、これらの具体的な情報があるからこそ、私の駄文は他者にとって少しは読んでもらえる価値があると考えています。

 

結びにかえて

 上でも書きましたが、そもそも言葉というものはとても繊細で壊れやすいものだと感じています。要は伝わりづらい(私の表現が拙いだけ)。味覚と同じくらい言語感覚も人によって多様です。さらに誤用をも含めてその人全体を理解する・言葉で理解するということは実に難しいと感じています。

 また多様なコニュニケーションツールの中で、書き言葉は対面や音声でのコミュニケーションと比較すると、その性質からして最も厄介であると思います。

 

 そんな困難や障礙を前にしても、私は何かを発信しようとしている。自分の感じていることを伝えたい。しかも、YouTubeや他の表現方法もある中で、一番困難なコニュニケーション方法を選択している(40半ばのYouTuberはまあキモいだけでしょうが)。きっと私はこの文字の力・言葉の力を信じているという事なのでしょうね。

 

 まあ小難しいことをたっぷり書きましたが、こうした人物がこうした経験を踏まえて、かようなことを考えながら書いている、とわかって頂けますと幸甚です。

 

 ということで、言葉の力・伝わるということを信じて、敢えてのポジショントーク・シンプル・具体的で伝わりやすいポストを心掛けて行きたいと思います。え?文章長すぎでシンプルでない? 失礼いたしました笑 気をつけます。

 

2020/08/25

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