(私事です)東京で生まれ育った我が身からすると車を持つとは一種贅沢な話でした。友人は、池袋で風呂なしトイレ共同の築30年のボロアパートを月2.5万で借りていましたが、アパートオーナーが同じ敷地に持つ吹きさらしの駐車場は月4万円でした。東京で車を持つには、まず駐車場を賄える収入が必要だ。
そんな私が初めて車を買ったのは30代も半ばになったころのこと。トヨタ関連企業への営業で名古屋へ転勤となり、車社会のナゴヤになじむべく購入を決めたのだ。車歴10年を過ぎた深緑色のプジョー307を中古で30万で購入したのでした。今はもう手放して手元にありませんが、私たち家族4人にとっては5人目の家族のように愛着がわいたものです。
車も車同士でしゃべっているという設定。思いつかない設定!
本作はそのような車(緑のデミオ)が主人公(の一人)。車だから人との会話はできないものの、あたかも人のごとく車同士の社会があり、会話があり、性格がある。人間のことわざに模した車社会のことわざや言い回し、コミカルな車同士のやり取りが描かれています。クラウンだったりプリウスであったり、はたまたBMWだったり、私たちが感じるような印象が「性格」として描かれています。
さて人間世界の物語は、とある三兄弟(含む妹)家族とその周囲が巻き込まれた事件を、伊坂流に淡々と、そしてどこかコミカルな調子で描くものです。勿論結論は予想しない方向に転がります笑。
この人間世界の描写と並行・交差して、車たちの観察・噂・推理なども展開されます。人間だけのドラマではやや単調なのかもしれませんが、車たちの視点や社会を人間世界とは分離した形で描くことで、物語は重層的に描かれ、深みのあるものになっています。
廃車への恐怖は、人の「死」を暗示しているのか
個人的にもう一つ挙げたい特色は、作品を通して「死」が暗示されていることです。或いは単に「終わり」「別れ」と言ってもいいかもしれません。
我々は車を普通に買い換えますが、車側からみると使えていた主人やその家族との別れです。廃車ともなれば一生のおしまいです。主人公たる緑デミも事故車をみて廃車や主人との別れを想像して怖がります。
私は、これはまさに人が死を想像できず、不安になることを車に代弁しているように感じました。死んだらこの「私という意識」はどうなるのか、全てのことは忘れてしまうのか、ならば生きる意味は何か、等々、宗教以外に出せないような問いが沸々と沸いてきます。暗くてごめんなさい。
終わりに
とは言え、終わり方はほっこりと幸せな気分になれる終わり方です。人間の世界でも仮に別れがあったとしても、縁があればどこかでまた会えるかもしれない、なんて思わせるような素敵なハッピーエンドでした。
驚きやユーモアなどのエンタテイメント性も十分、相変わらず東北ローカルな舞台設定も私のお気に入り。車好きな方にも是非読んでほしい!優れたエンタテイメント小説だと思います。
評価 ☆☆☆☆
2020/09/02