作品について
防衛大学の戦史・歴史研究家を中心に、組織論の野中郁次郎氏(元一橋大学教授)を加え、合同研究として出版されたもの。第二次世界大戦中の代表的な戦闘を通じて当時の陸海軍の組織特性を分析している。なお、裏表紙を見るとわかる通りですが、小池百合子氏や新浪剛氏らが推薦しているそうです。
感想
この本は戦争の本ではありません。いや、戦争について書かれた本なのですが、現代的な読み方として一層意味があるのは、戦争を通じて日本の組織の特徴を考えること、だと思います。
表紙カバーに破綻する組織の特徴として5点あげられています。
「トップからの指示があいまい」「大きな声は論理にまさる」「データの解析がおそろしくご都合主義」「「新しいか」よりも「前例があるか」が重要」「大きなプロジェクトほど責任者が居なくなる」
ほら。どこかで聞いた話でしょ。
非合理的な判断で多くの人命が失われる。これでよいのか?
さて実際に読んでみると、悲惨な戦闘に際して、何でこんな判断をしているのかと言いたくなる、もう眼をそむけたくなるような(しかし馴染みのある)日本(日本の組織)の特徴がありありと描かれます。
最も印象深かったものは筆者らが情緒主義と呼ぶものです。それが最もよく表れているのがインパール作戦だと思います。当該箇所のはじめにはこうあります
「しなくてもよかった作戦。戦略的合理性を欠いたこの作戦がなぜ実施されるに至ったか。作戦計画の決定過程に焦点をあて、人間関係を過度に重視する情緒主義や強烈な個人の突出を許容するシステムを明らかにする」
そもそも無謀であった作戦は、第15軍司令官の牟田口中将が作成。彼は盧溝橋事件で自らが失点したと感じているらしく、その失地回復も狙っていたとみられる。そこで、上司であるビルマ方面軍司令官の河辺は「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」(P.152)とその無謀さを止めることはなかった。補給や地形の軽視について、参謀長である中氏から指摘されていたにも関わらず河辺は「最後の判断は自分が下すので、それまでは方面軍の統帥を乱さない限り牟田口の熱意と積極的意欲を十分尊重せよ」(P.157)と指示したという。万事この調子であるから、中参謀長は牟田口率いる第15軍の暴走に口出ししなくなってしまった。こうして失敗が運命づけられたこの作戦は、だれにも止められることなく実行され、10万人の参加者の内、3万人が死に、2万人が負傷し、残りの5万人は半分以上病人として別天地へ移っていったという(P.141)。
失敗の数々、その原因は今でも撲滅されていない
本書で取り上げられている戦闘はどれもこんな感じなのです。声のでかい奴が居る。上司が妙に物分かりがいい奴で、部下をかわいがる。同じ士官学校出身者をかばう。実績より名誉を尊重。コンチプランを立てない(「そんなこと考えているから失敗するんじゃー」)。そもそも作戦の意図がハッキリしない。中央の本部が地方への統制を厳しくしない。結局全体が大きな失敗で終わる。そして誰も責任は取らない。
分析としてはざっとこうです。そもそも日本にはグランドデザインがなかった。短期志向で戦略オプションにも乏しかった。人事制度は成果主義ではなく学歴(軍士官学校出身)であり、異能が採用される余地がなかった。合理的判断ではなく、人間的紐帯から判断が下されることがしばしばあった。また(やれるまでやる的な)精神主義がはびこり、なまじ成果が出てしまったため組織が自己省察をして変革・学習するチャンスを失ってしまった。戦地で失敗が起きても、「死者に鞭打つこと」をさけ、自己省察をしない。いわゆる名誉尊重的な。
つまり、組織として柔軟でなく、過去の成功に縛られて今を変えられない。日清戦争・日露戦争の頃から、思想・戦略・そして技術に進歩がなかった。
リーダーとは命を預かるもの。現代的には社員とその家族を預かるもの
今の組織はここまでひどくはないかもしれませんが、組織の建付は変わりません。かつてのリーダーは安直な精神主義で大事な国民の命をむざむざと失わせました。現代では組織のリーダーは多くの社員とその家族の生活を養っています。その点でリーダーが陥ってはいけない間違いや欠点として、この作品を読む意味合いがあります。
本書はそもそも私のメンターからの課題図書でしたが、非常に為になりました。人を率いる立場にはありませんが、命をとられない限りでは、自分が正しいと思うことに対しては声を出しつつけなればならないのかなぁと思いました。組織は責任も取らずテキトーな判断を選ぶことが往々にしてあります。その時逃げ場があればいいのですが、逃げ場がない時、困るのは自分自身だったり大事な仲間だったり、またその家族なのです。
評価 ☆☆☆☆
2020/10/14