スパイ映画と言えば、一種もう固定したジャンルとして成立しています。最近で言えばKingsman、ちょっと昔だとMission Impossible、さらには古典ともいうべき007等が挙げられます。日本では縁遠い諜報機関ですが、世界じゅうに存在しています。イギリスのみならず、米国のCIA、ロシアのKGB、イスラエルのモサドなどです。
本書はイギリスの防諜機関たるMI5出身の筆者の手による、イギリス諜報機関内で行われたスパイ探索活動記です。余りに内部情報を掲載した為か、出版当時の首相であるサッチャー氏が英国のみならず、オーストリア、ニュージーランド等で出版差し止めを要求したという曰く付きの作品です。
内部スパイは捕まらない・・・
さて、本書で最も驚くのは、1930年代から筆者の引退する1970年代半ばまで約40年間にもわたり、諜報機関内部に潜むスパイを排除できなかったことです。
筆者はMI5の所属であり防諜活動が専門です。内部に潜むスパイを捕まえようと必死になりますが最終的には容疑者の特定と尋問までしか進めません。相手に縄をかけることまではできず、引退することになります。最後に元上司がかけた言葉が印象的です。
「ピーター、君は秘密を知りすぎていたんだよ」
怖いですねえー笑。官僚組織の一部にスパイががっちり組み込まれているイギリスっていったいどういう国なのか興味が湧きます。
人生をなげうつも、成果を得られない虚しさ
次に書きたいのは、何というか、強く感じる虚しさ・虚無感です。
上記に書いた通り、筆者は結局、大物内部スパイを一人も捕まえることはできません。敗北です。加えて彼は組織内でも支持を失っていきます(同僚を疑う監査部的役割だし仕事内容をみだりに言えないので当然ですが)。
本人は正義感から懸命にやっているものの、上司に阻まれる、あるいはそれより上位からの圧力を受ける。結局、自分の人生をかけてやってきたことは報われない(危うく年金まで失いそうになる)という終わり方です。哀しくないですか?筆者が真面目そうに見える分、一層哀しさが募ります。こうした読後の虚しさは、共産党革命家が最終的に転向した様子を綴る史明氏の自伝にも通ずるところがあると感じました。
イギリスはやはり一味ちがう?
また、ぼんやり感じたのは、そこはかとなく感じるイギリスのエリート社会の奥深さです。
本作後半で、内部スパイは組織的であり、かつオックスフォードやケンブリッジの卒業生グループらのつながりであることが示されています。尋問を受ける容疑者も、かつて共産主義に触れた事実を鷹揚に認めるところや、引退後の芸術への志向を表すなど、何だか人間の質が少し違うなあと感じました。これが米国なら尋問中にきっと不審死(!)。日本ならば、事実認定せずとも疑わしい時点で総バッシングか村八分。金銭的豊かさからくる余裕なのか文化なのかはわかりませんが、大物容疑者の余裕がちょっと素敵に感じました。
マルクスが資本論を書いたのはイギリスでありますが、そのイギリスのエリート層は冷戦中も資本主義の根本的問題についてよく学んでいたのかもしれません。
まとめ
さいごにリキャップしますと、とても興味深いドキュメンタリでした。確かに一部、盗聴・尾行・暗号解読・亡命などは、もはや映画の典型のようなアナクロニズムを感じます。しかしながら、筆者のスパイを必死で追いかける様や、最終的にその元凶が組織内部、しかも事もあろうに自分の(元)上司が容疑者である等、進行がドラマチックで楽しめました。これが実話ですからまた驚きです。また、MI5をはじめとした公的組織の硬直性や政治家との付き合い、省庁同士の争いなど、組織の機能不全をよく表している点でも面白く読めました。
インテリジェンスや国際政治、官僚組織、組織論等に興味がある方にはお勧めできる書籍だと思います。
評価 ☆☆☆
2020/12/12
(本作については佐藤優氏がその著作で言及していたのを見ました)
前半はやや鼻につくも、後半は熱いインテリジェンス論―『インテリジェンス 武器なき戦争』著:手嶋龍一、佐藤優 - 海外オヤジの読書ノート