ヒトコト概要
東京大学大学院総合文化研究科教授による、哲学対話のススメ。
感想
語り口はやさしいのですが、まとめるとなるとなかなか難しい作品です。プロローグとエピローグを何度も読んでどうまとめようか呻吟しました。
で、結局筆者が言いたいのは、対話を通じて「考える」という体験をしよう!そして、もっと気軽に日常で「考える」ということをしていこう、だって考えることで我々は自由になるし、自由だからこそ我々自身の人生に責任が持てるのだ、とこんな感じの事を言っているのだと思います。
社会は人から思考と自由を奪う?
「自由な発言や思考は制限されている。」
筆者はこのように考えているようです。でも、日本社会のことを揶揄しているのではありません。確かに日本では顕著ですが、どの社会でも、自由な思考は組織のルールや文化的制約によって大なり小なり制限を受けていると思います。
親や先生がいう「よく考えなさい」という発話。あるいは同僚や上司がいう「そんなの普通に考えばわかるだろ!(怒)」。こうした発言は、一定の答えを暗に強要し、むしろ自由に考える行為とは対極の要求をしています。
こうした表現そのものに罪はないと思いますが、現実的には人を考えることから遠ざける一因になっていることも確かではないでしょうか。
この作品で筆者が主張するのは、このような考えさせない力が作用しがちな現代社会で、「考える」という行為を我々の日常に取り戻すこと、であると思います。くわえて「考える」行為を導入する「対話」を通じて、哲学を、知識としての哲学から体験としての哲学へと変態させることであると思います。
対話の威力
さてこのような「考える」ことを可能にする「対話」とは何か。それは「問い、考え、語り、聞く」ことです。対話の中にはこの四つの要素が含まれており、これを十全な形で実行することで我々は考えるということを取り戻すないしは身に付けることができる、というものです。
問いの設定と考えることは確かに単独でできます。語ることも独白なら一人でも可能。でも相手が出てくることで途端に思考が必要になる。他者だ。老人か子供かあなたのパートナーや友人、いずれにせよ相手のレベルに合わせて話す必要がある。また疑問について答えなければならない。さらに言えばその疑問に自分の至らなさや不明瞭な部分が分かったりもする。つまり、対話をへることで思考は深化してゆきます。
このような対話のプロセスを複数人のグループで、なるべく異世代をあつめて、目的なく行うというのです。人の数だけ考えや反応は違うので、こうした対話の進め方は斬新ですね。筆者はあくまで「目的なく」というのですが、その有用性から、何か他のことを目的に(ビジネスとか)使えそうな雰囲気もありますね笑
哲学対話のやり方について
哲学対話についてのテクニカルな話題については作品中で語られているので割愛します。できるだけ輪になって座るとか、相手を否定しないとか、結果を求めないとか、そうしたことは対話、ひいては考えることを成立させかつより深化させるためのTipsにすぎません。本書の分量にして半分程度が対話のテクニックやそれが導入される背景や理由についても語られています。しかし、それらは筆者がいう「考えること」の回復作業を支えるツールにすぎません。要点はあくまで「考える」です。
おわりに
私が本作に出会ったのは、息子の高校入試の過去問の中ででした。
哲学という言葉が表題にありますが、哲学・思想に関するとういうより、生き方に類する本であるという印象を受けました。そして、哲学対話というのをしてみたくなりました!一緒にやる人がいないけど。
読者層という観点から言えば、中学生から大人まで(タイトル通り!)多くの方が楽しめる本です。また、筆者は哲学の一般的な印象(意味不明、難解、役に立たない?)を十分に分かったうえで書いていますので、哲学ファンや思想好きな人なら筆者の語る哲学のイメージを「あるある」として楽しむこともできます。それもまた一興。
評価 ☆☆☆☆
2021/01/16