海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

一般サラリーマンにも当てはまる、科学者が負うべき倫理―『科学者とは何か』著:村上陽一郎

 とある図書館で処分品として一冊30円程で売っていて購入しました。村上氏は科学史、科学哲学とか、そういう分野を研究されている方で東大とかICUで教えていらっしゃった方。科学論をテーマに現代文の問題で取り上げられることも多いですね。

 


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 読みましたがこれが非常に面白かったです。

 内容を極々簡単に言えば、本作は、科学者の倫理はどうあるべきか、という本です。

 

ざっくりよめる科学史(科学者史!?)

 まずは科学史が非常に興味深い。

 当初は科学者は単なる同好の士であったこと、更には職能集団として機能し、その口伝の中で倫理も伝えられていったこと。大学での教育を経るも19世紀までは神への誓いとして職業倫理が保たれていたそう。困った人を助ける医学、弱い人と助ける法学、そしてそれはすべて神の召命につながっている、と。

 ところが市民革命以降は神命への遡及は廃れ、個別科学の深化も進み、学会という同胞組織ではピア・レビューなどでこっそり成果横取りなどという輩が現れ、科学者の研究は他人を出し抜いて新たな成果を発表するという性格が出てきたと言います。

 

科学者が内部に安住できる時代は終わった

 他方で、科学界がその内部だけで安住できる時代は終わったことが示唆されます。自分の研究成果が明らかに外部世界を改変するということです。

 顕著な例は原爆です。第二次世界大戦中の亡命科学者のシラードが原子力の軍事利用を阻止するべくアインシュタインらの協力を仰ぎつつ当局に働きかけるも、逆に米国は軍事利用を進める形になりました。原爆の結果、研究を自らやめた学者も居たそうです。科学の研究を他人が利用することで害悪が及ぶことがある、と科学者自身が認知し始めました。

 

 また、科学者が外部への説明責任を果たさざるを得ないことも明示しています。

 日本で大学院生活を送った方には馴染み深いかもしれません。所謂学振や科研費の減少もあり、部外者に対して研究の意義や有効性について説明する必要が迫られるようになったということです。

 

 つまり、科学者は自らの研究の外部的インパクトについて想定せねばならない。場合によってはその倫理的スタンスについても整理するべき。また、研究費を獲得するため、自らの研究の意義を門外漢にも伝える努力が必要である、と言えます。

 

てかこれ、まさにサラリーマンの姿

 さて、勘の良い方は薄々気づくと思いますが、こうしたことは何も科学者に限らないと思いませんか。

 自分の仕事が周囲にどのようなインパクトがあるか、そして自分の仕事の意義や結果について自己レビューをするって、これは世の仕事人がやっている・やらねばならないことそのものではないでしょうか。

 仕事の外部的インパクトについては、サラリーマンだとあまり考えないかもしれません。でも、年端もゆかない子どもに自分の仕事の内容を聞かれたらどうでしょう。パパの仕事って何なのと。そういう視点で考えると、自分の仕事の外部インパクトについて整理できそうな気がします。

 成果についての説明責任についてはこれまたサラリーマンが毎年やっているものですね。年次レビューとかKPIとか呼び名は色々ありますが、サラリーを支払う人への説明責任ってありますよね。

 そうしたことを考えると、本作で問われている科学者の倫理は科学者に限ったことではないような気がしてくるのです。

 

おわりに

 筆者は最後に科学者は『社会と人類にたいして責任をもつ』べきと述べています(P.181)。

 上で書いた通り、私はこれは科学者に限らずに問いうることであると思います。倫理というのは明文化された法律ではないので強制はできません。ですので、倫理感を持つとはある意味でこうした説明責任を(誰にも強制されないなかで)果たしていく、という事なのかもしれません。一方、金銭という誘惑が常にこの倫理観を曲げようとしているようにも思えます。

 自分は今、社会と人類にたいして責任をもって仕事をしているか? 自分の立ち位置や日々の仕事の仕方、将来への展望をも省察する機会となった良い作品でした。科学史系の本としても純粋に面白い本です。あ、あと大学院に進学したい方は読んでおいて絶対損はないと思います。特に理系の方。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/07/11

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