コロナ禍の下、これほどまでに予防接種について世間が関心を持ったことは、私の40年強の人生ではなかっと思います。
ジェンナーは世界史でほんの一瞬ちらっと「予防接種の祖」、のような説明で出てきて興味が湧きました。ジェンナーについて知りたいなと思って調べてみたのですが、あいにく気に入ったものがAmazonでは見つからず、Kindleの青空文庫(パブリックドメイン)の子供向け伝記ものが発見できたため、これを読んでみた次第です。
30分で読める短いものですが、非常に面白かったです。
青空文庫は大抵のものは古く、言葉遣いがほぼ古文の域の作品もしばしばですが、本作は口語調で実に分かりやすい。
若き医師ジェンナーの時代、英国では天然痘が散発的に流行していた。とある牧場のおばさんから、牛痘(ウシの水疱瘡?みたいな)にかかったら天然痘にはかからないという噂を聞き、予防接種のアイディアを思い浮かんだそうで。
これを自分で、そして息子でも試すという。誠実でもあるが、今なら児童虐待でしょうね。現代では治験者のバイトがあるので、いわば不具合のリスクは金銭で交換されている事実があり、製薬の過程やワクチン・予防接種の仕組みについてもっと知りたくなりました。
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閑話休題。
コロナ禍の中、ワクチンには多くの意見がありました(過去形ではありませんね)。陰謀論、ワクチン有害論、不妊説、副反応等々。
この混乱で分かったのは、予防接種は完全に安全だというのは私の勝手な妄信で、メディアでは実に巧妙に「極めて安全」などの言明になっていたことです。100万人に数人の副反応という話を信じるのならば(ごめんなさい。この数字は出所不明。記憶ちがいかも)、このような状況下で全国民が打つような事態に至れば約1.2億人の人口の内、120人(100万人に1人の割合で計算 ; 死亡率0.0001%)がワクチンを原因に亡くなられることになります。
他方、現在国民のすべてが感染リスクに晒される中、今時点でのコロナ感染死亡率を[累計コロナ死亡者数÷国民数]で計算すれば、0.015mil÷120mil ×100 = 0.0125%となり、その便益は明らかです。
ここから、ワクチン接種による死亡が統計的に見込まれるとしても、政府がワクチン接種を薦めるのは、理解できます。所謂「デメリットがメリットを上回る」というあれです。しかし、ワクチン接種で亡くなられる方が絶対数存在するならば、その方々への補償が必要と考えます。同時に、愚行権ないしは自由権と言いましょうか、罹患して亡くなる自由(ワクチンを打って死なない自由)もあってしかるべきではないかと考えます。ただしこちらは公共の福祉に反さない限りですが。
おわりに
でも実は個人的にはどっちでもいいじゃんという想いもあります(だったら書くなよ!ですよね。ごめんなさい)。絶対的な正しさというのはこの多元的社会では存在も難しいと思いますし、人間が見通せる世界はそこまで広くないだろうとも思います。その点では私が今持ち得るベストなモットーは「みんなちがって、みんないい」(By相田みつを)でしょうか。
ワクチンに対するスタンスも人により千差万別。でも、分かり合うためにはお互いの意見を相手の側から考え、理解する努力が必要なのでしょうね。できれば直接話す、コミュニケートする、という行為も必要であると感じています。どうやって歩み寄る切っ掛けを作るかは分かんないけど。説得する、強伏するのではなく、理解する、受け止める、という姿勢がないと当然のことながら相互理解は生まれません。
その点、ツイッターというのは非常に怖い装置であるとふと思いました。あれだけ短い文字制約の中でどこまで気持ちを尽くせるのか。あの場で歩み寄りは生まれるのか。ま、ブログとて50歩100歩かもしれませんが。端的になりづらい(長ったらしい?)点にブログの長所があるのかも、とふと思った次第です。