海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

恥部をさらけ出す話の数々こそ、人間中心主義の証か ― 『デカメロン(中)』著:ボッカチョ 訳:平川 祐弘

本作表紙にはオレンジ色の背景で黒字ででかでかとタイトルがあります。

どうやら家内も娘もこの本のタイトルが気になっていたようです。デカメロンって、音の響きも口に馴染みますよね。。。娘に至っては自分の知らない食べ物か何かかと思ったの事でした(「メロン」に引っ張られてますね笑)。

 


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さて、3巻からなる大作の中巻は4日目から7日目の計4日間・40話を収録しています。

 

当『デカメロン』ですが、実は毎日テーマが決められ、話が展開していきます。例えば4日目は「その恋が不幸な結末を迎えた人の話」、7日目は「女たちが夫に対してやらかした悪さの数々」など。でも、艶話・面白話もこうも続くと、多少の変化が日々ついているとはいえやはり少し飽きを感じてしまいます。

 

そんなことをたらたら考えながら読んでいましたが、訳者平川氏の渾身の解説に大きな学びがありました。それはダンテとの対照性です。

 

端的に言えば、ボッカチヨは寛容である、という主張。

ボッカチヨはダンテを尊敬し、作品も相当読み込んだらしく、作中でしばしば『神曲』の構成や言い回しを借用している箇所があります(懇切丁寧に注が付いています)。ところがそのスタンスたるや対照的というのが平川氏の意見。曰く、ダンテは旧来の教会を批判しつつも結局キリスト教至上主義的で、他宗教(ユダヤイスラムです)を異教徒として排他的・攻撃的に扱う一方、ボッカチヨは本作でユダヤ教徒イスラム教徒を悪者扱いすることもありません(寧ろ国内のヴェネツィア人への揶揄が多い)。またダンテが信賞必罰・因果応報的な世界観を展開している一方(煉獄の様子の描写ですからねえ)、ボッカチヨの作風はより人間の本性・欲求を描いており、当然これに対して同情的なスタンスであることが見て取れます。

 

ルネサンスは人間中心、などと言いますが、宗教的ストイシズムがどうにも自然ではないことを筆者ボッカチオが表現しようとしていたとすれば、やはり本作こそがルネサンス文学の代表にふさわしいと思った次第です。

 

そう考えれば、本作も単なるエロ話集成ではなく、寧ろ人間の欲求を認めたうえでどう倫理や規範をファインチューンするかという実践的な議論の発射台にもなりうる、と考えることもできるのかもしれません。

 

・・・

それにしても、本作の註を読んでいて、つくづく翻訳というのは難しそうだなあと感じました。地名をイタリア語読みするか、日本での通称を使うか、などの呼称の統一から始まり、なるべく文章を字義通り訳す努力を続けつつ必要な個所については意訳を大胆に導入するなど。意味が不明瞭な個所はドイツ語訳・英語訳・フランス語訳を適宜参照し、意味の把握に努める(註にその顛末も明記)。加えて、ダンテはじめ過去の作品の言い回しやオマージュについてもきちんと註を打って、読者により深い理解を促す。

これは大仕事です。

 

私は仕事では英語を使っていまして、機会があったら翻訳で小遣い稼ぎでもできないかなーと普段から淡くよこしまな思いを抱いていたのです。でも、自分の普段使いの外国語運用・翻訳は、文学作品の翻訳とは大きく乖離する、というか真逆であることを思い知りました。

 

私はメールにせよ、会話にせよ、『要は何か』という点にフォーカスし読み・書き・しゃべります(ある意味業務上のコニュニケーションはぶっきらぼうでbluntかもしれません)。やりとりは、大意・本意を読み取ることが第一で、その内容の要点を上司に報告するとなると、顛末のほんの一部の中心しか(あえて)話さないのです。

この調子で翻訳をしたら、意訳だらけの要点だけの味わいもへったくれもないレポートができること間違いありません。

 

翻訳者の日々の仕事に感謝をしたくなった今日この頃です。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/11/07

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