マスコミ、特にテレビについての不信感が個人的に強いです。バラエティは面白く見れるのですが、報道という観点からすると、ポジションテークを明示しない報道姿勢が私にはとても狡猾に感じるのです。とりわけ政治問題に対する報道はそうです。どういう立場での報道なのか、旗幟鮮明にせよ、さもなくば立場が分からない、問いたくなります。
さらに時代は一応総つぶやき社会へ。誤字脱字にあふれたネットニュース(人の事言えないけど)、個人の伝聞(ポスト)が即確からしく語られる昨今、何が信じられるニュースソースなのかよくわからくなってきました。むしろ気概のある個人の発信情報の方が時として信頼できる可能性も増してきました。口コミやインフルエンサーなどはその一例かと思います。
もちろん、個人という最小単位は、何かが起こると「仕組み」でカバーできないので(一人だけですから)、お金・健康・家族などが脅かされたらあっという間に信念が曲がる可能性もありますが。
そんなことを考えているさなかに読んだのが本作『大統領の陰謀』です。
本作は、ワシントン・ポスト紙の若手記者二人が、政府からの圧力に耐えつつ、真実に近づき、ニクソン政権を追い込んでいくノンフィクションであります。
これを読みつつ改めて考えたのですが、真実を伝えること、真正なる報道というのは実に目に見えない努力に支えられていると感じた次第です。
報道の信頼性の担保には時間と金が不可欠
まずもって感じたのは、真正の報道は恐ろしく手間がかかるということです。
本作では政府内部のタレコミ情報がワシントン・ポストに集まるものの、これをそのままスクープとして発表することができないシーンが数多く出てきます。悪さをしたニクソン政権ですが、当然記者とつながりのある内部者に意図的に虚偽情報をリークさせることも可能なのです。そのため、検証や裏取り、それが難しい場合は断定表現は避けるなど表現上の工夫を施す必要が出てきます。
作中では、ほぼ確からしい情報をどのように確かにするかという裏取り、検証の作業に呻吟する記者二人に感嘆いたしました。
骨太なマネジメントが必要
また、本ワシントン・ポストでは、社主(オーナー)から編集長まで、主人公の若手記者二人の集めてきた事実をキチンと受け止め、適切なテクニカルな指示(裏取り、出稿のタイミング等)のみを下におろす形にしていました。政府からの攻撃(記事の内容を『でたらめ』と声明発表し、加えて記者クラブ的集まりに呼ばなくなる)を受けても、トップマネジメント以下状況に耐え、記者二人に取材をやめるよう圧力をかけなかった姿勢は立派という他ありません。
記者のミスも赤裸々に描写
また、主人公の若手記者の一人がニュースソースを外部に漏らすというあってはならないことをしてしまうシーン、大陪審の陪審員への接触を試みる(陪審員は知りえた情報を外部に漏らしてはならない)シーンなど失敗に関する場面も克明に描かれていました。作中では、記者二人が自らが作り上げる報道のもつ意味を考え呻吟し、そして表現に落とし込む様は、むしろ清々しさすらを感じた次第であります。解説で常盤氏がこうした自己陶冶的側面を指摘していましたが、同感であります。
おわりに
本作は所謂ウォーターゲート事件発覚に至る様子を克明に描くノンフィクションものであります。ただ、スポットライトは、ニクソン政権の陰謀というよりも、むしろ政府からの攻撃に耐えつつ、報道人の矜持を保ったその誠実さ・清々しさ、に当たっていたように思われます。
昨今の違いを認める・受容する社会では、本作のワシントンポストのような全社的頑固一徹さもはや難しいかもしれません。でも、大きな風穴を作るときは、支えあい・忍耐・そして同じ方向を向くことが非常に大事である、とそう感じました。
評価 ☆☆☆☆
2022/12/17