海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

意思決定論を超えてもはや人間論に |『ファスト&スロー』(下)ダニエル・カーネマン、訳:村井章子

昨年末から読んでいる本シリーズの下巻です。

 

上巻では所謂直観や素早い判断を得意とするシステム1(早い思考)と、熟慮担当のシステム2(遅い思考)についてフォーカスが当たっておりました。


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下巻では上記のシステム1とシステム2が混在するいわゆる『ヒューマン』と経済学が措定する合理人『エコン』とを対照的に描き、結局我々が『エコン』でいられない、結局『ヒューマン』であることを多くの事例や心理学理論から例証しています。

 

参照点、面白いですね。

面白い理論が沢山ありました。すべては書ききれませんが覚えているものを紹介。

参照点という概念は印象的でした。これは同じ効用の二つの事例でも、参照点によって効用が変わり得るというもの。たとえが適切かわかりませんが、私は自分の年収に相当不満です。きっとそれは、アジアの辺境ではそこそこの年収でも、私の参照点が日本の同程度の年齢や同業種の方々にあるからです。他方で、同じくらいの年収を得ている当地の同僚は何だか裕福な消費をし、なんとも楽しそうに生きています(性格の違い!?笑)。

ボーナス×カ月分とか、ベース×%アップというのも同じ料率・数量の複数事例があっても参照点の置き方で効用が変わるということです。とするとこれは、いわゆる『エコン』の一貫性が保たれなくなるというわけです。

謂われてみれば当たり前な感がありますが、コンベンショナルな経済学の前提が崩れている点が認められ始めている点が重大なのかもしれません。

「ヒューマン」の自我を構成するのは記憶?

あと、本作の終わり数章で「経験」と「記憶」について記述しており、こちらが非常に興味深かったです。

我々は多くのことを経験するのですが、結局我々が経験したと思っていることはその「記憶」が構成しているという話です。そしてその「記憶」の良しあしで「経験」は言わば歪められるというもの。

日本語で終わり良ければすべてよし、とありますが、人間の認知システムも同類であり、一生悪いことが続いても、死ぬ前に飛び切りいいことがあって亡くなった物語なぞを読むと、まあよかったじゃんと思ったりします。逆に概ね楽しい人生でも、その最後に良くない終わりであったら、その人の人生は大分ネガティブになります。つまり、経験している多くの事は近接した時間の良しあしに大きく左右されるという分析です。

ちょっとSFっぽいんですが、厳しい人生で苦難続きでも、最後の彩りがあることで幸せな人生だったと感じながら死んでいくことができるかなとかちょっと思いました。

 

他にも、損失回避の性質や、メンタル・アカウンティングなど、『ヒューマン』独自の特徴が事例とともに説明されておりました。

 

おわりに

ということで、心理学から経済、意思決定論、果ては哲学的なトピックも包含する非常に幅広く面白い本でした。通読一回では十分に味わいきれない内容だと思います。また日を置いて再読したいと思います。意思決定論や心理学などに興味がある人には相当お勧めできる本です。

 

評価     ☆☆☆☆

2023/01/09

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