ほんの4カ月前に購入した本ですが、どうして買ったのか忘れてしまいました。
実際は『収容所群島』が読みたかったものの、手ごろな価格のものがなかったため、本作『イワン・デニーソヴィチの一日』を購入したことは覚えているんです。でも何に触発されたのかが全く記憶になく・・・。これも脳梗塞のせい?とかいうと不謹慎でお叱りをうけそう。嫁なら即ギレしていますね笑
ひとこと
ロシアの作家ソルジェニーツィンの作品。1970年にノーベル文学賞を受賞。ちなみに私にはお初の作家さんです。
ロシアといえば若いころツルゲーネフとかドストエフスキーとかを幾つか読みましたが、まあ暗かった。とにかく暗い、という印象が読後20年以上たった今の記憶の片隅にあります。
で本作、『イワン・デニーソヴィチの一日』はどうか、というと、意外や意外、何だか明るいのです。
主人公が謎に明るい
主題はラーゲリ。
古参政治犯シューホフ(あだ名?)のラーゲリでの一日の生活が描かれます。もちろん、強制収容所ですから、楽ではないのです。朝は早く、夜は遅く、食事は少量で常に奪い合い。長々とした点呼により私的時間がどんどん削られていきます。
こうした厳しさは、ロシアの社会主義の厳しさを描く作品には概ね共通して描かれているのだと思います。ちょっと前に日本でも映画になった『収容所から来た遺書』もその好例かもしれません。読んでないけど。
しかし、本作が他と決定的に異なるのは主人公シューホフがどうにも明るく、幸せそうなこと。
収容者は班に区分され、班長(収容者)の統率のもと、作業や食事をすすめる。班長の強力なリーダーシップの下、シューホフは班員の性格や動きを察知し、最適なアクションをくりだし、あるいは業務をスムーズに遂行し(レンガ積み)、あるいは余分な食事の分け前にありつく。冷え切ったからだに温かいスープが五臓に染み渡る。そんな時、彼は最高の幸せを感じ、神に感謝すらしたくなる。
また強制労働にも関わらず、調子にのってきて、レンガ積みの作業が非常に捗る。労働時間が過ぎてもサクサクと進めたくなる(なお終わっても作業をしていても処罰の対象だそう)。そんな仕事の進捗の良さに喜びを見出してしまう。
男のなかに何をみるべきか
こんな男をどう見るべきなのか。
単なる愚昧な小市民ととらえるのか。あるいは、ラーゲリという閉鎖的かつ不自由な環境が人を矮小化するととらえるべきか。はたまた、規則的な生活の心地よさに酔う人間の一面を描いている、と解釈するか。
私はただ端的に、すげえ、と感じた。彼はラーゲリの生活に喜びを見出している。変態か?
物事は心の持ちようとはよく言ったもので、収容の不運を嘆いたり、体の節々の不調を訴えれば、きりがない。シューホフも辛くないわけではないのです。寒いし、上着はボロボロ、おなかだってすく。しかし彼は、「今この瞬間」に集中し作業するという謂わばマインドフル的対処法で極限状態に処しているようにも思えます。そして予定調和的なルーティン的日々のなかで鋸の歯を拾うなどの小さな幸運を喜び、そして作業やオペレーションがスムーズにいくことに快感を覚えます。その心持ち、恐れ入った。
ただ、こうしたシューホフの喜びは、一部には班長との紐帯の強さが基礎づけているといえるかもしれません。その点では厳しい境遇にあってグループを見捨てない班長=リーダーが収容所の中でもきちんと出てくるというのは素敵なことなのかもしれません(これが山本七平氏の描く大日本帝国陸軍だと自分第一のリーダーで溢れるということになるのでしょう)。
リキャップすると、作品中に私は、逆境下にあっての人間の強さ・可塑性を見た気がします。あるいはロシア民族のしぶとさ・楽天性、でしょうか。もちろん、人間一個人、いわんや国家・民族を一言で性格づけるというのは横暴でしかないのですが・・・。
おわりに
ということでソルジェニーツィンの作品でした。
これまで読んだ所謂ロシア的名作とは一線を画す雰囲気でありました。暗くないロシア文学というのは実に興味深い。次作に挑戦する気になります笑
ロシアや社会主義に興味があるかた、強制収容所など戦中戦後の歴史に興味があるかた、極限状態での人間の行動に興味があるかた、等々にはお勧めできる作品かと思います。
評価 ☆☆☆