佐藤氏の作品は結構好きです。
その博学に裏打ちされた諜報インテリジェンスの話、外交の話等は、私の知らない映画のような世界。知らない世界だけど、厳然として存在する、熾烈な世界。
そんな佐藤氏にあって他の著作で言及があったのがこの吉野文六氏。
吉野氏というと、私の頭にあるのは、去る西山事件で虚偽の証言をした外交官、という事実。その吉野氏を佐藤氏が持ち上げるという事に疑念を持ちつつも購入に至りました。
結果は面白かったのですが、西山事件とはあまり関係なく戦前戦中の話に終始。
はじめに
本作は、端的に言えば、佐藤氏による現代史の再構成、といったら大袈裟でしょうか。
言葉を加えるならば、吉野文六という元外交官の人生(の前半)を梃に、その周辺の歴史を再構成する、とでもいったものでありましょう。
吉野文六氏とは
多くのかたは吉野文六氏をご存じないと思います。
1918年生まれの外交官。東京帝国大学在学中に外務省に入省、戦中ながらアメリカを経てドイツにて留学、そのままドイツ大使館でドイツの敗戦を目の当たりにする。戦後は駐米公使、アメリカ局長などの要職を務め1982年に退官。詳しくはwikipediaをご覧ください。
でもこの方の名前を最も有名にしたのは西山事件でしょう。
西山事件はこれまた一から説明すると長くなるのですが、要は戦後の沖縄返還に際して、本来米国が日本に支払うべき資金について、日本が支払う(つまりチャラにしてあげる)という密約をした、と。これをすっぱ抜いたのが毎日新聞の西山記者ですが、西山記者は言わば国策裁判でハメられ、その際の証言で吉野氏は「そんな密約はなかった」と虚偽の証言をしたものです。
なぜ虚偽といえるのか
この証言が虚偽と分かったのは、言わずもがな、日本の記録からではありません。
米国の公文書が2000年に公開されるに至り、2006年に本人が証言は虚偽であった(沖縄返還時に日米に密約があった)と認めたものです。
で、佐藤氏はこの吉野氏の行為に強く心を打たれたようです。
オーラルヒストリーの重要性
さて、作品そのものは、吉野氏の戦前戦中の記憶や佐藤氏との会話に加え、佐藤氏が諜報的解説を敷衍して行ってゆくもの。
言わば吉野氏によるオーラルヒストリーに佐藤氏が彩りを加えていくという体裁をとります。
このオーラルヒストリーの貴重な点は、やはり教科書の字面から一面的にしか知らないものを、一個人の証言からよりビビッドに多面的に理解できる、という事です。
例えば、1941年の日米開戦以前、米国の雰囲気はどうだったかというと、吉野氏に言わせれば、日本人への憎悪もなく、物にあふれ、牧歌的な朗らかさがあったという。てかもう反日的な雰囲気で満たされていたとかって思いません?
またナチスは第一党として国民から選ばれた、という教科書の記述などをしばしば見ます。これなぞは、あたかも多くの国民は熱狂的にヒットラーやナチスを支持したように感じます。しかし吉野氏の目から見れば、形だけの支持の人も多く、なんなら公然と悪口を言う人も結構いたことが綴られます。へー。
歴史って何が真実なのか?
なんてことを書くと、一体歴史の正しさとは何か、その事実はだれが認定するのか、なんてことに疑問を持ちます。
ドイツでのナチスの支持についても、文科省の担当者よりも、吉野氏の現場の声のほうが、すこし説得力があるように感じます。ではこれがすべてかというとそうも言いきれない。これは一事例であり、例外の可能性もあります。
歴史の概ねの事実は共通して合意されるとは思います。しかし、歴史とは予想以上に重層的・複層的で、細部を見れば見るほど、そこには不確かで相反する証言や背景が蓄積してもおかしくなさそうです。
だからこそ、一方的な断定的事実(とされるもの)には、時に懐疑的な方が健全なのかもしれません。またそれゆえに、こうした一個人の口述は非常に貴重であると感じた次第です。加えて、このような不確かな歴史的土壌がぬかるみのようにあるからこそ、歴史小説がフィクションとして花開くのではないのでしょうか。
おわりに
ということで佐藤氏の作品でした。
西山事件とはほとんど関連のない著作でした。むしろ戦中ドイツを吉野氏を通じてインテリジェンス的に読み解くというもの。
こうした外交・インテリジェンス等に興味がある方にはお勧めできる作品です。加えて、歴史とは何が真実かと、ふと思わせる著作でもありました。
評価 ☆☆☆☆
2024/05/07