海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年もセカンドライフ等について思索したく。

狂気の淵に光る理性の綱渡り。そのまま生きよ。 |『何もかもが憂鬱な夜に』中村文則

中村氏の作品はこれで四作目。約三カ月ぶりの再見となります。

氏の作品はノワールで陰鬱な作風が特徴ですが、これまで読んだ「掏摸」「王国」「去年の冬、きみと別れ」と比較しても本作「何もかもが憂鬱な夜に」は、まあ暗いこと。

ただ、いろんな意味で結構感情移入しました。

 

 

つくり

主人公は、施設で育った刑務官「僕」。

自分自身の異常さや不安定さ、あるいは自身の存在そのものにいまいち確信が持てない「僕」。自死した友人、真下との思い出。その真下が「僕」に宛てた遺書のような手紙。「僕」を何とかここまで導いてくれた施設の「所長」の力強い言葉の数々。そして今、担当している死刑囚「山井」を前にして「僕」が発する言葉とは。

 

生物的異常さこそが、人間らしさ?

この刑務官の「僕」なのですが、完全に同意するわけではないのですが、物語の端々で「わかるなあ」みたいな部分が出てきました。

 

『自分がいずれ何かをやらかすような、そういう不安だけを抱いていた』(P.80)

 

かつて施設のベランダから飛び降りようとした「僕」。若い頃、廃墟でいちゃつく若者たちを、危うく殺しかけ我に返り、とっさに逃げ出す。刑務官となって、とある事件を起こして謹慎中、酒を飲み泥酔し、女性を買おうとして、その女の首を絞めて殺しかけたこと。

主人公は内なる狂気に気づきながら、何とか普通に生きてきた。そんな印象です。

 

私も思春期、特に高校生くらいで、似たような気持ちになったことがありました。

人を殺したいという気にはなりませんでしたが、受験勉強の最中、深夜皆が寝静まったころ、とがった鋏を見ながら、これを腹に刺せば死ねるのだろうかとか、思ったこと。

人を殴ったことは数回ありますが、彼女を殴ったらどうなるかとか、考えたり。長じて、残業続きでイライラしながら深夜に運転しているときに、このままフルスロットルで信号無視したらどうなるか、死んじゃおうか、とか、考えちゃう時もありました。

 

自身の暴発を恐れながら、手馴づけようと苦慮する主人公の姿に、過去の私を見たような気分になりました。

 

所長の姿に希望が

だからこそ、「僕」が影響を受けた所長の存在は、作品の中で輝きが増します。

押しつけがましくなく、人を誘導するこの所長。彼は今ここまで続いた生、その生の奇跡に感嘆します。故にその生を全うするべきだと、回りくどく主張します。

 

「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前をつなぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか? すべて、今のお前のためだめにあった、と考えていい」(P.155)

 

あるいは、こうした文句も。

「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」(P.10)

 

こういう科白に出会う度に、生きる意味について結構真剣に悩んだ大学時代の自分を思い出します。

考えながらも人生の道のりを自分なりに切り開いていければ、ナイスな人生かもしれません。でも、精神の狂気や暗渠に滑り落ちずに普通に人生を終えるだけ、それだけでその人生は世界に勝利しているのかもしれません。

 

おわりに

ということで、中村氏の作品を読了しました。

陰鬱ながらも希望の光が見える文学的作品でした。人生面白くねえなあ、自分には良いことないなあ、という人は読んでみるといいかもしれません。知らんけど。

 

評価 ☆☆☆☆

2024/06/01

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