哲学を好きな自分が好き?
大学、大学院と哲学をやった割には哲学を知らない(というか分からなかった)私。いまだに淡い憧憬を持ち続けています。
他方で自分を疑うようにもなりました。
若い頃よく単館上映映画をよく見ていたのですが、自分が映画好きだったのか、映画好きな自分が好き(映画好きと言いたいだけ)だったのか。今となっては良く分かりません。
哲学についても同様。哲学をやっていますと言いたかっただけだったのか?と。
そのなかで、現代思想というかフランス系は最も分からん、というか触れてみる気すらしなかった分野でした(です)。そこに燦然と輝くエース東氏。
彼の著作、以前恐る恐る手を出してみたら、ちょっと面白い。
で、本作は某ブログでお勧めされており手に取ったものです。
概要
東氏が1999年に上梓した評論集。文庫化に伴い、本人インタビューを収録。
内容はデビュー作のソルジェニーツィン作品の評論、夏目漱石作品の評論、ポストモダンについての彼のエッセー、SFと思想との交差点、等々。
宮台真司氏との対談もなかなか良かったです。教養について語る中で、やはり勉強しないとだめだなーと思いました。
ポストモダンと郵便的
結論からいうと面白かった。
きちんと理解できていないので上手に言語化できませんが、彼が言う所の「ポストモダン」という状況がぼんやり分かった気がします。
私が解するに、現代でいう「多様性」というのはある意味「ポストモダン」の最たるものであるとも思えます。一つのすべてを通底するような価値観(「大きな物語」)が失われた今、人々は孤立化し理解しあえない状況、みたいな。
そうした価値観の寄る辺、公共インフラでいう郵便局・手紙配送システム、そういうのが失われてしまった状況を「郵便的」と呼ぶそうです。
かれの論評やエッセイは、概ねこの「ポストモダン」と「郵便的」をキーに展開しており、その意味では本作を読むと彼の問題意識が分かると思います。
そのほか
あと、ちょっと「へー」と思ったのは文芸批評。
日本では文芸批評が文学と哲学の橋渡しというか、考えることの間口を広げているみたいな話(詳しく覚えていないけど)。
そういうと哲学に挫折した私には批評というカテゴリは最適?
あと、最後の宇野常寛氏の解説は多分三分の一も分からなかったかもしれない。
分からない人・勉強していない人がどの口叩くのかと言われそうですが、あまりに専門用語に偏り、ちょっと親切ではないなあ、と感じた次第。
とりわけ読み口のよい本作内容と比較すると、最後に後味が悪くなったのは否めないかな。
おわりに
ということで東氏の評論集でした。
文学・文芸批評もまた思考を拡げる一助となることが分かりました。そしてその前に、十分な教養、過去の文学の吸収消化、これが必要だと痛感しました。
世界の文学作品を1000本ノック的に読破したくなりました。
評価 ☆☆☆☆
2024/09/15