はじめに
著者の近藤康太郎氏は、朝日新聞にて記者として勤めつつ音楽や文化関連の文筆活動に(も)注力している(た)方。
本作は、会社に籍を置きつつも、彼自身が「オルタナ農家」となり謂わば「人体実験」をする過程を著したもの。
本社のビミョーなおじさんの、地方での「オルタナ」生活
いやあ、好きです。こういう人。
権力の中心におらず(いられず?)、「遊軍」記者として過ごすことが長く、結果いわゆる「扱いづらい」オジサン記者となった方。ただ、書くこと・表現することは好きで、特に音楽が好きだそう。趣味が昂じて著作も出してしまう。
しかし現状は厳しい。出版業界の斜陽化と平仄を合わせるようにライターの単価も下落し、所属元の朝日新聞も問題が頻発し、いつか潰れるやもしれない、と本人は考えている。
でも書くことは彼の生き方であり、生き甲斐。故に彼は書くことはやめない。てこでもやめない。
そこで考える。
お金云々ではなく書くことで生きていきたい。さすれば、最低限、男一匹を養えるだけの食い扶持を自力で作れればくいっぱぐれることはない。あとの肴と酒代はライター稼業で稼いでやろう。
でもとにかく、メインはあくまで書くことだ。だから、農作業は朝の仕事前の1時間のみ。
こうして彼は年下の上司に異動の願いを出す。
ユーモラスに描かれる彼の田男ライフ
まあ結論から言えば、彼の試みは成功するわけです。
最適な師匠が見つかり、つかず離れずの指導を受け、そして秋には一年分以上のお米を取ることが出来たという結末。
その過程では、田舎での人付き合いの濃さ、共同体での贈与・交換経済への可能性、自然の懐の深さなどに気付いていく様子がユーモラスに描かれます。
更に、決め台詞的に、いちいち著名な作家やミュージシャンの歌詞が引用され、それがまた的を射ていて面白い。
時限付きラストリゾートの「地方」住まい
さて、この生き方、つまり、会社でほどほどの仕事をしながらも、「食」においての最低限の食い扶持を確保するという方法、筆者はこれを激押ししつつも、そう長くはもつまい、とします。
それはお金を使わない、工夫しながら自然の産物を頂く・利用するというスタイルが、資本主義の方法に反するからです。
貨幣経済から外れて、贈与と交換、自然からの頂き物で自活すると、市場経済が回らない。つまり右肩上がりの成長を企業が描けないことになります。
増してや今後人口減により地方公共団体が無くなる・合併する・集約されることが想定されるさなかです。
故に、このような贈与と交換を基礎に置く地方暮らしは、(仮に)流行れば流行るほど、じき当局の規制が入るだろうとします。
私も想像しますが、入会地などに入場税をかける(誰が徴取するのか、というのはありますが)。田舎の奥地に散在する人々を田舎の中心地へ強制移住させる(ないしは地方住まいにおいては水道やガスなどのインフラ保証をしない)など。
こうすることによって、貨幣経済に地方の人を再び巻き込むようにするのでしょうね。
でも将来はいつも未定。やれるうちにやろう、あとはその時考えるしかない、というのが筆者のスタンスでした。
おわりに
ということで、近藤氏の著作、初めて読みました。半農とすらいえない、チョビ農のススメでありました。
そして、彼の田舎住まいは、今、更に進化している模様で著作も増えている模様。そちらもまた読みたいと思いました。
都市住まい、会社勤めでストレスを抱えている方は一読の価値があります。個人的には中央から物理的に離れることが良いのでは、と考えていますが。将来を考えるにあたり、参考になる一冊でした。
評価 ☆☆☆☆
2025/03/20

