皆さん、こんにちは。
いやあ、とうとう読み終わりました、旧約聖書!
2024年初め、講談社学術文庫版のいわゆる70人訳から読み進め、その後キリスト教系の高校を卒業した息子から譲り受けた新共同訳の聖書で残りを読み進めました。
でも、旧約聖書をそもそも読むきっかけとなったのは実は陰謀論。
ユダヤが悪の組織バリに描かれていて、しかもその証左にいちいち旧約聖書でこういう描かれ方をしている、みたいなのがあった気がします(既にうろ覚え)。で、そんな本を読んでいて「旧約も読んでいないと反論もできんなー」と思ったのがとっかかりだったと思います。
まあ、それ以外にも聖書って旧約新約含め、絵画のモチーフになっていることも大きかったです。
できれば今後欧州の有名な美術館に来訪・再訪し、聖書がモチーフになっている作品も見てみたいなあと考えています。
はじめに
今回は5つの書(章)を取り上げます。前回にもまして、旧約聖書のなかでも更にマイナーな部類に属すると思います。
ハバクク書:吟じます
3節の短篇。預言者ハバククと主との対話が綴られる。以前、詩編を読んだときに、ト書きのように「セラ」という文句が挿入されているのが散見されました。本書でもその「セラ」があったため、本書は歌う・吟じるような読まれ方をするものだと推察します。
ゼファニヤ書:神の怒り
ゼファニヤは捕囚前の二国分裂時代の人。最近の小品と同じく神の怒りがテーマ。
ただ、わたくし的にはもう、これは神の怒りではなく神官・聖職者の怒りなのだろうなあ思います。国の為政者のチカラが減退し、宗教でも人を動かせないとしたら、神官は恨み事を書き連ねるしかないかなあと。
いやあ、神様が恨みつらみをツラツラと書くようなら、本当に宗教やめた方が良くない?と神様に言いたくなります。ってこういう捉え方はよろしくないんですよね。
ハガイ書:神殿再建なる
二節のみの超短編。ダレイオス王(在位:前522-前486)の時の話ということでバビロン捕囚が終わった後の話。
神様から神殿を再建するように、という預言。細々と注文がついております。
総督ゼルバベルという方の名が取り上げられている点、ちょっと気になりました。
ゼカリヤ書:相変わらず断罪中
同じくダレイオス王の時の話。14節からなる、ここもとではやや長めな書。
相変わらず神様による断罪がメイン。
断食について、行為としての断食では足りず、心を込めてやっていたか、と詰問する箇所(7.6)が印象的。夫婦生活でも類似のことが言えるような気がします。ありがとうとか、愛しているとか、そういう奴。まあ、ありがとうだと、会社でもそうですね。本当に心からありがとうと言っているか? 身につまされます。
またエルサレムの救いと浄化の節で『羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい』(13.7)とあり、為政者?聖職者トップ? いずれにせよリーダーのレベル低下が示唆されているように感じました。
マラキ書:宗教的良心か?
最後を飾る書も僅か三節。
これまで私は、聖書の編纂に当たり聖職者が神の口を借りて不満を言っているだけだろうなどと気軽に書き連ねておりました。
しかし、この最後の書で、とうとう神官の奢り・祭司への警告という句が踊ります。
捧げものというのは最良の肉・傷のない動物を屠る必要があるのですが、祭司らが傷のついた動物を捧げものとしていなかったか、最上のものが捧げられていなかったのではないか、と問い質します。
おそらく時代の変遷とともに、民衆のみならず、聖職者にも廃頽は見られたのでしょう。そうした警句があることに宗教者の中にも良心はしっかりと残されていたと思えます。
おわりに
ということで、これで旧約聖書シリーズはひとまず終了です。
次回からは新約聖書シリーズを開始すると共に、これまで読んだ旧約の解説書を再読して参ります。
評価 ☆☆☆
2025/06/22
以下、自分用に過去記事リンクをつけさせてもらいます。


