はじめに
新約聖書第四弾。マタイ~、マルコ~、ルカ~が共観福音書という一つのくくりらしいのですが、本ヨハネの福音書は、前者3福音書と比較すると全体の風合い(イエスの言行録)は踏襲するものの、やや趣が異なる部分が相応に見られました。
なお、毎度お世話になるwikipediaによりますと、作者は12使徒のヨハネということらしいですが、それも諸説あるとのことです。
イエス・キリストに集中
聖書ですから、言ったら舞台の主人公はイエス・キリストなのですが、これまでの三福音書と比較すると、キリストの言葉・語りが多く、また他の三福音書との重複はこれまでと比較して少なかったように思います。
とりわけ、仮庵祭の前からイエスの死までが、他の福音書では別のエピソードなどを挟みながら進むのですが(したがって読みづらい)、本ヨハネの福音書ではこのあたりは連続し集中して語られており、分かりやすかったと思います。
確証は得られず、ゆえに信じる?
しかし、読んでいて感じましたが、イエスも結構切れていますね。あまりに周囲の人が信心がないので。旧約で神が民衆の不敬虔に切れていましたが、それを思い出しました。
イエスがペトロの裏切り(キリストなど知らないと三回しらを切ること)を予言したりってのは有名ですが(まあ切れてはいないけど)、お前ら信じないから天国に行けねえんだよみたいな趣旨のことをけっこう言っていました。
他方、メシアかどうか、本物かどうか、と確認することは実に難しいと思います。とりわけ、ユダヤ人たちがイエスと両親と神との関係を問う時。今ならば、三位一体説(神、子(イエス)、聖霊はすべて同位)を頭で(は)理解できます。が「私は父なる神から遣わされた、私を信じよ」なんて言われたらどうでしょう? いやー、私だったら偽物って思いそうです。
旧約では預言者という神と通じた聖人が出てきますので、そういうポジションでは理解できたとは思います。でも、神と同位のイエス・キリストという考え方は、ユダヤの人らにとては新概念ですよね。理解できなかったと推察します。
そもそもですよ、人間みたいなちっぽけな平凡な分際で、眼前の神が本物かどうかなんて、確認できない。というか、だからこそ信じるんでしょうね。これこそ、宗教の宗教たる所以です。
逆に言えば、確証とかを求めてはいけないのが宗教、でしょうか。ある意味ギャンブルっぽいですね。凡人は賭けてみる、と。
ほかに、特徴的なこと
その他、三つほど挙げておきたいと思います。
一つ目。本福音書でイエスは一度死んだラザロという人を復活させていました。
その後ラザロは天寿を全うできたのか、体の一部がゾンビみたいに腐ってしまわなかったか、少し気になりました(下世話などうでもよい話です)。
二つ目。ヨハネつながりというか、洗礼者ヨハネの話も結構ありました。ゆえにてっきり本書は洗礼者ヨハネが書いたという設定かも、と少し勘違いしました。
三つ目。本福音書はボンヤリした良く分からない比喩が結構多かったです。
Wikipediaのどこかに「象徴文学」という言葉遣いがあったように記憶していますが、美しく言うとそういうこと。
何しろ本書の初めは『初めに
おわりに
ということでヨハネ書でした。
次は使徒言行録に進みます。
評価 ☆☆☆
2025/08/14
ここまで読んだ福音書は以下


