突然ですが、風邪を引きました。
折しも来週は子どもたちが日本から居所にやってきて家族旅行を計画しているところに、この失態。
幸い熱だけで、今日の今日ではインフルでもCOVIDでもないとの診断でしたが、油断はできません。
それより残念なのは本日の作品。
男女とは・男女の倫理とは・生殖とは、というお題は、かれこれ30年ほど前からの関心の的でありました。
というか、お付き合いする相手・結婚している配偶者が居ても、他の女性に心が動くことがありました。心とまで言わずとも、目が胸や腰に行ってしまうことがある、と。
大抵、敏感な妻に感づかれ、それは浮気の始まりだなどと罵られるのですが、「いやいや、本当はそうしたいのではなく進化生物学的に…」と学問を援用して自らの行動を正当化できないか、と考えていたものです。
まあ風邪でぼんやりしているので、文字通りの「雑(な)文」になる気配ですがご容赦いただければ幸いです。
それでは本題に参ります。
長谷川先生
著者の長谷川眞理子先生は、日本の生物学者。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了後、早稲田大学教授、総合研究大学院大学学長などを歴任。専門は動物行動学、主な著書に『♂♀のはなし』、『生き物をめぐる四つの問い』など。
邪な吾の心よ
ということで、学生時代に「付き合う相手が居ても、心が動くことがある、そしてそれは動物としての機能だから致し方ない」と半ば本気で救いを求めるかの如く読んだのを覚えています。
コンラート・ローレンツや、『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスなど、人間の動物性・性淘汰などを知ることで、自分をより深く理解することが可能ではないかと読んだものです。
動物の合理、人間は不明?
本作、前半は動物たちの性淘汰、後半1/3は人間の性行動・性淘汰についてです。
基本的には動物は生殖のために相手を探し、より「有利」な遺伝子を得ようということでつがいが発生するようです。
よりシンプルな動物は両性だったり、途中で性転換したり、各々の種の環境にふさわしい進化をしているという話です。
ゴリラなどは一夫多妻ですが、食糧や安全を確保してもらうという側面があるそう。故に、ゴリラはオスの体が大きくなり、大きいオスが群れを率いる可能性が高い。他方、メスのほうが競争する動物も居るとのことで、これもまた環境次第。進化論。適者生存ですね。
面白いのは、上記ゴリラは一対多のつがいであり性バランスが崩れるわけです。そこで体の大きくない個体は正面切ってもやられるため、他の雄の縄張りのボーダーをうろつき、ボスゴリラが気づかないところで致してしまうという個体も多いそう。そして群れのメスも必ずしもボスゴリラが好きではなく、「無理やり・いやいや」というケースもしばしばあるそう。
つまり、動物の世界でも戦略は一通りではなく、雄雌間で競争、オスはオスで競争、メスはメスと競争が起こるということのようです。
人間の性淘汰は
で、こうした動物の話は興味深いものの、やはり人間の性淘汰や競争についてははっきりしたものは言えないというのがサクッといえば結論。増してや動物の理論をそのまま援用はできない。科学の時代ですから、実験が必要。そしてそんな実験はなかなかできない。
まあ当然ですよね。
かつて友人に脚フェチが居まして、「君は進化生物学的に倒錯しているのではないか?」などとクソ発言を(学生時代につきお許しを)したことが有りました。
需要と供給ではないですが、これも多様性ということでまとめさせていただこうと思います。
おわりに
ということで25年程度ぶりの再読、長谷川先生の生物学の作品でした。
動物の行動は面白いですが、やはりその延長線にいる人間、本当に謎だらけですけ。
かつての生物学者としてのジャレド・ダイヤモンドが好きな方は、面白く読めるかもしれません。長谷川先生もしばし翻訳なさっていた模様。
評価 ☆☆☆
2025/08/18

