皆さん、こんにちは。
前回ポストしてから二カ月ご無沙汰した聖書読破キャンペーン。年初のドタバタにかまけて全く読んでおりませんでしたが、そろそろ仕切り直しで再開であります。
これまでは一日15分とか実に細かく読んでおり、最終的に何が言いたいものだか良く分からないこともしばしばでありました。
旧正月で祝日続きということもあり、まとめて時間をとり、久方ぶりに進捗させてみました。
ということで本題に参ります。
エフェソの信徒への手紙
エフォソとはトルコ南部の街。現在は古代の遺跡で有名で世界遺産にもなっていますね。そこの宗教共同体に宛てた手紙。
今回ひとつ前の「ガラテヤの信徒への手紙」と共に再読したのですが、「ガラテヤ~」はキリスト教から離れそうになっている信徒たちへの必死の呼びかけみたいな口調でした。他方こちらの「エフェソ~」は、手紙というタイトルにふさわしく、Newsletter のような印象。
キリストの賛美から始まり、異教の旧弊から脱した信徒たちにキリストの贖いの意味合いをとくとくと説くというもの。更に敷衍して、夫と妻との関係の在り方、親と子の関係の在り方、奴隷と主人との関係の在り方、さらには悪との対峙の方法などが述べられます。
同じようなことを、くどくどと角度を微妙に変えて表現しているので、読んでいる方としてはまたこれか・だるいな、と思うのですが、ひょっとしたらこれこそ上司たるものの行いかと考えました。部下に腹落ちさせるために手を変え品を変え同じことの説明を色々と角度を変えて説明するべく努力をしているのか、とふと感じた次第です。違うか。
フィリピの信徒への手紙
こちらはギリシアの北方の街のキリスト教共同体へ向けた手紙。マケドニアの街とのこと。アレクサンダー大王の出身地ですね。
で、こちらも上記の「エフェソ~」同様のnewsletter形式。
特徴的なのは、書き手のパウロが獄中から手紙を書いているということ。殉教して天に上る方が楽だと書きつつも、君たちに信を伝えるのもまた尊いなどと書き、何やらファナティックな薫りも若干するテイスト。
理論にとどまらず(神が~とか、福音が~とか)、同郷のエパフロディト・エボディア・シンティケの名前を挙げて彼らの業績を述べることで読者の注意を逸らさないテクニックも披露。流石ですね。
でもやっぱり内容は単調に感じられますが。
コロサイの信徒への手紙
コロサイも現トルコの街。こう考えると、オスマントルコの膝元、イスラムの印象が強いトルコですが、その根っこには原始キリスト教が息づいているのかもしれない、と思ってしまいます。
さて、こちらの内容ですが、まあ上記とほぼ変わりません。
神を讃え、教えに則って生きるように信仰仲間を励ますもの。
強いて言えば、形式より内実(信仰)が大事である旨がここでも語られています。哲学は人間の言い伝えに過ぎない、肉体の割礼ではなくキリストの割礼(つまり洗礼)を受けた意味を考えなさい、安息日はじめ戒律は形式にすぎず実体はキリストにある等々。
ルールに盲従するより、内実を考えよ、と言われているように思えます。
おわりに
ということでエフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙でありました。
身の回りが忙しく、なかなか進捗しないのですが、時に世事とは全く関係がない故に面白く取り組めるというのもあるかなあと思います。
今年の前半までには読破して、次シリーズ(シェークスピア or ギリシア神話+哲学)に行きたいです。
評価 ☆☆☆
2026/02/22


