海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

人間の特質としての共感を描くディストピア小説|『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』フィリップ・K・ディック 訳:朝倉久志

実家の本棚に眠っていた本。たぶん20年ぶりくらいに読んだものです。学生時代、哲学を勉強しており、その時に設定したテーマは「人間とは何か Was ist das Mensh.」 きっとそのテーマの一環で読んだのだと思います。

今般本作を再読し、学問への小熱い(決して熱狂的ではない)気持ちが昨日のことのように蘇ってきました。

 


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まず冒頭に非常に面白い作品であるということを申し上げたいと思います。物語の展開もスピーディーで予想がつかない。人間の本性を問うかのような伏線も張られおり、考える素材としても非常に秀逸であると感じました。

 

あらすじ

本作、SFやディストピア小説に分類されることが多いかと思います。

核戦争後、地球上では多くの生物が絶滅を続け、正常者の大半は地球外へ疎開し、それでも残っている人たちは言わば「疵物」的な人ばかり。その代わりに人間そっくりなアンドロイドが地球内外で使われるに至る。その一部が火星から地球へ脱走してくる。主人公ディックは地球在住、そんな「お尋ね者」を処分するのが仕事、という設定です。

 

人間最大の特徴、共感

本作を通じて途切れることなく流れてるテーマは「共感」ということだと思います。

ディックが追い詰める脱走アンドロイドたちの一人、オペラ歌手として人間界に潜んでいたルーバ・ラフト。彼女が「処分」された後、明らかにディックは彼女に同情していました。オペラ歌手として秀逸であったからです。その秀逸さに関して人間もアンドロイドも関係ない、という思いだったのでしょう。なお、本作ではアンドロイドは同類へは同情しないということになっています(これは設定の問題で技術的にあらゆるものに同情するというプログラミングは可能だとは思いますが)。

さらに、主人公ディックは終盤にアンドロイドのレイチェルと交わり、その後明らかに感情移入をし、以降のアンドロイド狩りのキャリアは難しいことを悟ります。

ここで、ディックにおいては人間もアンドロイドに差はなく、感情を傾ける対象でありうることが示されます。これこそが人間のもつ高い共感力であり、良くも悪くも人間という種の柔軟性なのでしょう。

 

さらに展望されるディストピア世界

本作で出てくる新型のネクサス6型アンドロイド以降、さらに展望される近未来では、極限まで人間に似たアンドロイドが出てくることが予想されます。その時、「それらしくある」ことと「そうである」ことの差異は、一部では極限まで少なくなるのかもしれません。

極限までに「人間らしい」アンドロイドに恋をすることもあるかもしれません。置屋から見受けをするごとく、あまりに好きすぎてアンドロイドを買い付ける人も出てくるかもしれません。さらにはアンドロイドの人権?が叫ばれる可能性もあります。そのような事態になるとアンドロイド制作会社は営利企業ではなく国営企業になり、人口(アンドロイド口)がコントロールされるような社会も出現するかもしれません。さらにはこうしたアンドロイドとの共存を拒み、山里離れて暮らす人間の集団・宗教みたいのが出てくるかもしれません。

 

共感の発生メカニズムとは??

しっかし、人間の共感というのはどこから発生するのでしょうか。生物として、類似の器官(手・足・口とか)を持つと生物と認識してしまい、共感するのでしょうか。人間そっくりなアンドロイドが出てきたら間違いなく私も共感とうか感情移入はできそうですが、一方で魚や牛肉なんかは平気で食べられてしまいます。ひょっとしたら真摯なヴィーガンの方が本作を読んだら、また違った生物観・共感についての考え方が示されるのかもしれません。

 

おわりに

ということで、単なるSF小説ディストピア小説にとどまらず、人間とは何か、人間の本性とは何かなどを考える良質なテクストであると感じた次第です。

ただし、本作の舞台は核戦争後のすさんだ地球という設定。その核戦争時に、当事者同士が相手の立場に立つことができなかったという点は皮肉ではあります。

20年ぶりの再読でしたが、もう20年後くらいに読んでみたいものです。その時地球はどれくらい本作に近づいているのでしょうか。

 

評価   ☆☆☆☆

2022/10/16

 

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