海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年は世界史と英語を勉強します!

歪められた日本の言論、その起源は米国の検閲か!?―『閉ざされた言語空間』著:江藤淳


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筆者について

 筆者の江藤淳氏は東工大や慶応大の教授を歴任。文芸評論家としても著名。1998年に奥様を亡くされた後、追うかのように翌1999年に自死。 

 

感想

 ”あなたは騙されている、洗脳されている!!”

 そんなことを言われたら、大抵の人は白けてしまうのではないでしょうか。或いは胡散臭そうに感じてしまうのではないでしょうか。

 

 たしかに私の表現はちょっと言いすぎかもしれません。けれども筆者の主張は、日本人の思考は米国当局の意向を自主的に聞くようにコントロールされている、という事だと思います。ここまで直接的な表現はしていませんが、より洗練された言い方で彼はこれを『閉された言語空間』と表現したのだと思います。

 

自由の国の検閲とは

 筆者がかく言う『閉された言語空間』の端緒は米国。第二次世界大戦中のメディア検閲にその起源を求められます。そもそも自由の国アメリカで、憲法で謳う自由と真っ向から反する検閲をどうやって並立させたのか。その答えは自主検閲という形に収斂しました。本書に掲載されている「米国新聞界に対する戦時遵則」の一部を引用させて頂きます。

「幾つかの基本的事実を認識することが肝要である。その第一は、戦争の帰趨が個々の米国市民の未来にとって死活問題だという事実である。その第二は、わが軍の安全は言うまでもなく、われわれの家庭、我々の自由そのものの安全までが、利敵情報の公表時よって多少とも脅かされるという事実である。

 もし記者と寄稿者の一人一人が常にこの二つの事実を明記し、良識の命ずるところに従うならば、さもなければ処理困難な問題の多くに、おのずから回答を見出せるに違いない」(P.80)

 

  ちょっと古臭い訳です。要は、自由を守るためは検閲はやむを得ないというロジックです。そして、これに反すれば発行停止に追い込むという方法でプライス検閲局長官(元AP通信専務)は検閲体制を敷いたといいます。ここに米国大手メディアの死を見ることができます。

 

日本での検閲の影響とは

 そして、日本でも同様のやり方が取られたのは言うまでもありません。

 戦後の経済的に苦しい中で、GHQ当局のいう事を聞かねば商業的に成立を許されないのであれば、メディアは従わざるを得ない。そして、当局とマスコミは一種の「共犯関係」に陥り、好むと好まざるとにかかわらず阿諛追従的態度をとらざるを得ない。

 

 江藤氏はこのような検閲により、古来日本人の心に育まれてきた伝統的な価値体系が徹底的に組み替えられた(P.241)、と主張しています。その証拠に、後に江藤氏はドキュメンタリー映画製作にかかわり、その際、マスコミの自主規制によって表現の著しい変更を余儀なくされた経験を挙げています。連合国軍が去って数十年がたっても、自主規制という変容が残滓のごとく残ってしまったのだと主張したいのだと思います。

 

どこまでを原因を他に求めるか

 しかし、私は思いました。こうした自己規制や自粛的集団行動、これをすべて検閲に原因を求めることはできるのか。

 確かに敗戦後の日本は戦前からガラリと変わったことでしょう。その変化について、GHQの果たした役割は決して小さくはなかったかと思います。

 ただ、日本という移動の限られた土地のなかで、社会の秩序は、自主規制や自粛ないしは雰囲気・同調圧力といった無形の圧力によって成し遂げてきたことも少なくなかったのではないでしょうか(ロジカルでなくてごめんなさい。肌感覚です)。そのように考えれば、筆者の言説はやや極端かもしれません。

 

おわりに

 SNS大隆盛の時代に、マスコミの欺瞞や体制によるコントロールという視点はもはや古臭いかもしれません。みんな個々人が発信できる時代なのですから。

 しかし、権力のある者が物事を支配しようとする様は、常に巧妙に行われるのであり、そうした意味で本書の価値が今の時代に色褪せることはないと思います。米国でのTikTokやWechat禁止などの直接的な動きはある意味で素直です。国が本気で『検閲』をするとき、恐らくもっと巧妙に物事が進められるのでしょう。Googleなどの検索サイトがデータを収集する怖さは(怖いの私だけ?)検閲を構造的に可能にする(というかすでにされている!?)ことに原因のあるのかなあとぼんやり思いました。

 

評価 ☆☆☆☆

2020/08/30

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