海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

哲学的キャリア論!? |『だれのための仕事』鷲田清一

昨年、まだ娘が中三であったときに購入した本作。

娘はキコクというくくりで、日本語力も英語力もどちらも未熟なローティーンでしたが、国語ではとりわけ論説文が苦手でした(多分今も)。大学受験でも往々にして出題されますが、小難しい日本語論、日本文化論、科学技術の功罪、みたいなトピックです。この論説文の強化の一環として何か良いものがないかなと考えておりました。

 

物語文については素晴らしい師匠との出会いがありました。重松清氏、瀬尾まい子氏、森絵都氏らの作品で彼女も日本語に慣れてくれました。論説文はねえ。。。。何しろ親が分かっていないといざというときに説明できないし。

 

ということで、本作は今から考えればミステイクなチョイス。何しろ娘が高校に入ってから読んでるし(だってメンドクサそうであんま面白そうじゃなかったんだもん。。。)。

 

さて、鷲田先生。哲学界隈ですとかなりの有名人だと思います。大阪大学の総長まで務められ、サントリー賞も受賞されました。若いころ、縁あって1タームだけ授業を受ける機会がありましたが、所謂「流行り」っぽい哲学という印象を当初もっていましたが、どうしてどうして、西洋哲学ゴリゴリの世界の方だなあという感じの授業風景でした。

 

 

ひとこと

本作の内容は、さらっと言えば「自分らしいキャリアの築き方」、敢えてそれっぽい言い方をすれば「「労働」という概念における実存的間主観性の地平」、でしょうか笑

 

つくり

四章+補章の計五章の小品ですが、一章から三章は労働と余暇という二つの概念の分析で、いかにもテツガクっぽい話で、残念ながら私のサメ脳にはあまり入って来ませんでした。

 

おすすめは、四章と補章で、こちらはアツめで面白かったです。

 

なぜ現代の「労働」はつまらない?

そこでは、家事という無給の仕事をとっかかりに、ボランティアという無給仕事を対比させ、さらに阪神淡路大震災以降のボランティア熱の高まりから、労働に必要とされる新たな要素を抽出します。

 

他者からの「認知」

これからの労働に必要なもの、それは、他者からの認知、ということでしょう。給料が高いだけで人は満足を感じるわけでもなく、交換可能な歯車的な業務に対し、自分が仕事につく必然性を見出せないわけです。家事もそうですが、まずもって他者からの認知がなく、蔓延する「やってあたりまえ」感。さらには金銭的報酬(認知)もない。自分である必然性は家事にもあるやもしれないですが、自己決定権と周囲からの感謝がなくては、ねえ。。。

 

世界の中で、他人との関係で、自分を位置づけること

もちろん、ボランティアであっても自分である必然性は見出せるとは限りません。が、少なくとも他者から認めてもらうという体験はきっと大きいのでしょう。そうしたことから、終盤筆者は、他者との関わりの中から自分の立ち位置を見出す・形作るという責任を果たそう、というようなことを仰って終わりになります。

 

結論的には、あれですよね、先生?

ひらめきみたいに、「ああ俺の天職はこれだ」という決まり方はきっとしないんですよね。不安や疑心の中でキャリアを恐る恐るスタートさせ、経験や人間関係のなかから何がしかの方向性を見出しなさい・作り出しなさい、ってことでいいんですよね、鷲田先生?

 

おわりに

ということで、分かったような分からないような理解(つまり分かっていない)でありました。ごめんなさい。

どこぞの高校の受験問題に出ていて、それをきっかけに購入しましたが、これは高校生にはちょっと難しいと思います。

 

小難しいのが得意な高校生以上、社会思想系好きは大学生、キャリア関連・人事関連業務のかた、教育関連の方は手にとってもらっても良いかもしれません。

 

キャリアのことをよりプラクティカルに考えるのならばより良い本は沢山あると思います。労働という概念やその歴史をさらっているところあたりに、きっと本作の価値は多く存すると思います。

 

評価 ☆☆☆

2023/08/31

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