海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

報道の存在意義と倫理を問いただす。皆さん新聞がなくなっていいですか―『新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるのか』著:アレックス・S・ジョーンズ 訳:古賀林 幸


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(ごめんなさい。大分長くなってしまいました。)

 

 

 すでに大分言い古されていますが、若者の新聞離れ(活字離れ?)が叫ばれて久しい。

若くはないのですが、私も新聞をとるのをやめてしまい、ニュースはたまのYahoo!ニュースのみです。

 しかし読まないからと言って、新聞社や報道機関がなくなってしまって良いかと言えば、やっぱり違うと思っています。残ってほしいし、圧力や資本の論理に抗う独立的なジャーナリズムが必要だと考えます。

 

 本書はこのような”真正な”ジャーナリズムが今日的状況によって存亡の危機に立たされていることを説く作品です。

 

ジャーナリズムとは「鉄心」のニュースを紡ぐこと

 筆者が焦点を当てるニュース・報道は、作中では「鉄心」と呼ばれます。或いは「硬派のニュース」とも呼ばれるものです。

「鉄心に入るのは、政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で、「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体である。これは事実に基づくニュースというあり、近年ケーブルテレビのニュースチャンネルでプライムタイムに放送されたり、ブログに計されたりすることの多い「主張のニュース」に対して、「検証のニュース」と呼ばれることもある」(P.25)

 

 つまり、こうしたニュースには主張は含まれず(つまり社説も外れる)、レジャーやクロスワード等でもなく、物事の事実をありのまま届けようとする、ニュースです(論理的にポジションを取らない報道はないという論は今は置いておきましょう。ポイントは報道を存続させるということです)。

 

 これらがなぜ大事であるかというと、先ほど引用したように、権力に説明責任を課すからです。こうした報道の結果がウォーターゲートだったり、ソンミ村虐殺事件だったりするわけです。

 

金がかかり実入りが少ない、真正ジャーナリズム・・・

 ところが、こうしたジャーナリズムの成立が難しくなっているというのが筆者の主張です。

 先ず、経済的なことがあげられます。

 事物を取材し、内容を検証することには相応のお金がかかります。さらに、権力者の不正に対峙するような記事は(特に米国では)訴訟沙汰になる可能性が多分にあります。従い、裁判費用やこれをカバーする保険の確保が必須となります。

 加えて言えば、こうした真正な記事というのは、まあつまらない笑 一般受けしない。故に多くの人が新聞を買っても、読むのは旅行の欄だったり、スポーツだったりするわけです。さらに新聞の収益の大部を占める広告は、当然、読者の目に留まる記事に対してお金を落とすゆえ、鉄心の報道は結果的に(娯楽的記事に比べると)コストはかかるくせに収益は稼げない、会社のお荷物的存在となってしまうのです。

 

 もうここまでくると資本主義社会では下方スパイラル真っ逆さまです。収益が上がらない部門は、コストカットにより人員削減が行われ、記事の質が悪くなり、部数がへり、広告が減り、そしてまたコストカットによる人員削減が行われてゆきます。

 

資本主義下でのジャーナリズムの存在意義

 そもそもジャーナリズムの意義とは何か。決して収益を伸ばすとか、部数を増やすとかそういう事ではなさそうです。寧ろ、起こったことをそのまま伝えるとか、隠蔽されたものを再び明るみに出す等、ある種の正義感、使命感ないしは公共性に近いのではないでしょうか。作中でも譬えられているが、教師のような役回りかもしれません(意義深いが金銭的にはそこまで報われない)。

 しかし、激しい資本主義のなかでは収支の問題で考えると、硬派のニュースの生存は実に難しい。補助金を出して公共報道はどうかとも考えたけど、政府から第三者的な立場でなければ真正な報道はできない。会員制クラブのように一部の金持ちにだけ届けばよいのかと言えば、やはり広い伝達が必要な気もする(真実が一部の特権階級の私有物であってはならないと思う)。

 

金、金、金!

 つまり、結局は報道(権力の監視と言ってもいいかな)のコストをだれが払うのかということなのではないでしょうか。

 GoogleYahoo!のようなポータルサイトは、自身は取材せず新聞社の記事から多大な便益を得ている。加えて大きな広告料が落ちるのは新聞社ではなくこうしたポータルサイトだ。著者はこうしたサイトが費用の一部を負担するべきとしている。因みにこれについては本年2020年にグーグルが各国の新聞社に情報料を支払う旨の報道がありました(よく新聞社は10年以上持ちこたえたと思います。。。)。

www.nikkei.com

www.asahi.com

 

 誰かが負担して支えてあげないと、なくなってしまうのです。これは大変なことだとは思いませんか?

 私は20年くらい前、週刊金曜日というゴリゴリな週刊誌(購読料のみで運営すると当時は言っていた)を購読していました。独立性を保つ報道という観点では参考になります。

 

 ちなみに筆者はブロガーをはじめ報道内容を時事ネタに語る人々にも相応の負担をするべきなのではと提題しています。広く薄く支援できるのならば、私なんぞでよければ応援したいなあと思いました。

 

おわりに

 改めていうと、非常に考えさせる本でした。資本主義のなかで公共的な価値たる報道をどのように成立させるのか。難しい問題です。上記では紹介しませんでしたが、ジャーナリズムの倫理観やジャーナリストの矜持、また米国地方紙の歴史的エピソードなどもあり、飽きさせない本であったと思います。ジャーナリズムに興味がある方、社会や政治に関心のあるかた、あるいは米国情勢に興味のあるかたには是非お勧めしたい本です。

 

評価 ☆☆☆☆

2020/12/01

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