海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

自分を塗り替えることでしか生きられなかった者への共感 |『ある男』平野啓一郎

私の在所には、日本映画祭というものがあります。

国際交流基金という独立行政法人が主催しており、主に日本の文化・芸術を広めるような活動をしています。で、そこで上映される日本映画が私のところですと大体300円くらいで見れます! ローカルの外国人ではないのですが、毎度ご相伴にあずかって見させてもらっています。

そして本作、今年当地で上映されたものです。映画がなかなかに心に響くものだったので、今回原作も読んでみることにしたものです。

 

ひとこと

いやあ、面白かったです。

私は映画をはじめに見て、その後に本を読みましたが、どちらにも固有の面白さがあったと思います。そして両方とも鑑賞してもらいたいです。面白かったです。

 

元在日というスティグマ

主人公の城戸(弁護士)は帰化した在日三世。

見どころは「自分とはナニモノ」かと問わざるを得ない彼の境遇ではないでしょうか。帰化した日本人とはいえ、「元」在日というスティグマは消えることはありません。ハングルも喋れない、名前以外は朝鮮っぽいものは何も持ちえない。しかし、それでも在日というスティグマをほじくろうとする人々がいるわけです。関東大震災100周年である今(物語では90周年)、多くの朝鮮系の方が日本人により、そしてデマにより虐殺されました。その残虐性に悔いた人も少なく、加えてこれを無い物だったと主張しヘイトスピーチを繰り返す団体もいます。

 

主人公の城戸は、家族も守り自分もスティグマを越えて生きたいと願う一方、常に弱者に温かい目を向けつつ、それでも常に不安感を抱いています。そして、彼のもつ健全な共感・繋がれる力が語のベースを作っているように思えます。そしてそれこそが、スティグマに抗しきれず戸籍交換をした人々へと物語を進展させてゆくのでしょう。

 

戸籍交換とスティグマ、そしてドラマ

物語のもう一つの頂点は、やはり戸籍交換のトリックと、その周辺にいた関係者でしょう。「谷口大祐」として亡くなった原誠は、殺人者の子というスティグマから逃れられず、自殺未遂の末、戸籍交換をし、それを家族に言うことなく事故でなくなりました。

事象そのものは犯罪ではありますが、妻や子供にとってはとっても優しいお父さんでした。また事件の全貌を理解した弁護士の城戸にとっては、この原誠は戸籍交換をへて身を偽った4年弱の時期こそが幸せな時間であったと断言しています。

嘘をつかれていた家族は、事実を受け入れるのが非常に難しいことだと思います。ただし、時間を過ごした家族は、背景はどうであれ愛し合った家族、そこにある愛は肌感覚として記憶されています。ここに、アイデンティティとかスティグマとか名前とかを越えた紐帯が「救い」として用意されていると感じました。

 

対して、人は往々にしてカテゴライズして単純化して人を判断するということも暗にほのめかされています。そして「在日」とか「犯罪者の子」とか単純かつ安易なラベリングがいとも簡単に人を窮地に追いやるという事実。SNSなどが無い100年前からそうした残虐が日本にあった。つまり日本はそうした観点では全く進歩していない可能性が示されます。

 

映画との比較

さて、本作は映画化されており、ベネチア国際映画祭にも出品されています。

私は映画を先に見ましたが、まとまりが非常に良かったと感じました。原誠と彼を亡くした家族の物語が中心で、どのように戸籍交換が行われてかというミステリー味が強い作風に仕上がっていたと思います。原作の純文学的な味わいが、上手にエンタメ系のフォルムに変容していたと思います。

 

キャストも、主人公の城戸を演じる妻夫木聡さんの人の良い笑顔も、とてもマッチしていたと思います。理知的な美しさを誇る理枝役の安藤サクラさん、大祐のメンドクサイ兄の恭一を演じた眞島秀和さん、原作ではあまり出てこないパートナー弁護士の中北を演じた小藪千豊さんなど、なんというか、原作を読みつつなるほどな、と思える配役でありました。

 

また、原作(本作)ですと、城戸弁護士と、谷口大祐さんの元カノ美涼との仄かな恋心と、一線を越えてはならないという理性が、ぎりぎりのところでせめぎあっている描写も多く、結構はらはらさせました。

映像では、この美涼という役どころ、「少し疲れて、でも美しく魅力的な女性」という風で、清野菜名さんが演じていました。城戸との仲が「なんとなく」いい感じになる、その「なんとなく」感が上手に演出されていたと思います。

ただ、本を読むと美涼は40代ということです。原作で彼女は、こんなおばさんでもみんな色目を使うと愚痴るのですが、清野菜名さん顔の40代がいたらそりゃナンパされるわな、と本を読みつつ映画を回想し独りごちておりました。

 

おわりに

ということで平野啓一郎氏による作品でした。非常に面白かったです。

純文学らしいやや衒学的な表現、弁護士の城戸の正義感と裏に潜むスティグマへの恐怖、戸籍交換を行うに至った厳しい境遇にいる人々とその背景への共感等々、非常に面白く読めました。

 

純文学好きは言うに及ばず、日本現代史、在日関連に興味がある方、はたまたエンタメ好きにもお勧めできる作品です。

 

個人的には映画で頭の中で筋を構築し、原作を読み、その後物語をより立体的に味わうのがお勧めです。にしても、一番応援したいのは夫を亡くした里枝の長男の悠人(中学生)ですねえ。健全に育ってほしいなあ。

 

評価 ☆☆☆☆

2023/09/16

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