皆さん、こんにちは。
日本から居所に戻ってきて、はや二週間。
昨日、祖父母と同居する高校生の娘からLINEにて連絡。
「悲劇!今日、おじいちゃんが、おばあちゃんが作った昼ご飯が足らず、おばあちゃんが居ないすきに自分でレンジでチンして生肉を食べたそう」
体に別条はなかったようですが・・・。
父は認知症が進み、特に過食がひどくなっています。夜に起きて冷蔵庫をあさる行為も頻発。
私が退院したのが4月の末で、それ以降急激に症状が進んだ感があります。
私たちがいたときは、幸い家内は調理師であり手際よく夜食を作ったり、焼き芋を焼いておいて食べていつ起きて食べても良い状態にしておきましたが、いまや家事全般がアウトな母だけではやはり回らないようです。
母には、私の子どもたち(孫たち)の朝食・昼食は不要、もし同時に用意できるのならば夕食だけ取っておいて、忙しいなら不要、という簡易オペレーションをお願いしましたが・・・。
後ろ髪ひかれる今日この頃です。
はじめに
湊さんの作品、面白いですね。好きです。といいつつ、前回読んだ作品からはや四カ月空きました笑。
今回は湊氏の代名詞イヤミス的な作品でした。なかなかよき。
あらすじ
景観の美しい浜辺を望む町、鼻崎町。
商店街のお祭りイベントをきっかけに知り合った3人の女性。地元出身の久美香、転勤族の妻である光稀、そして「芸術村」に移り住んできた陶芸家のすみれ。
足の不自由な久美香の娘をきっかけに、母子らがメディアに出るところまでは仲は良かった。ところが、当初の仲の良さはそれぞれの思惑から次第に不穏な確執となります。加えて関係が絶てないもどかしさと気持ち悪さをも筆者は絶妙に描写します。
イヤミスの根源は「自己の正当性を疑わない」?
湊さんはイヤミスという作風ということで有名です。
ところが今まで、そのイヤーな気分はどこから来るのか、というのが何となく表現できずにいました。もどかしく気持ち悪い、何なんだろ、みたいな。
で、本作のあとがき・解説の原田ひ香さん。最近名前をよく聞きますね。彼女がこれまた的確にイヤミスの原因やその理由を表現しています。少し長くなりますが引用します。
「湊さんの作品の特徴で私が一番好きなところは、登場人物たちの強烈は「主観」だ。
人称が一人称であれ、三人称であれ、細やかで少し神経質で、でも、誰にも流されない自我を持った人たちが登場する。そして、その複数の「主観」や「自我」が絡み合いながら物語らが構築され、進んでいく。
私はこれを「主観と主観の殴り合い」と呼びたい。普通なら、すれ違い、くらいの言葉を使うのだろうが、湊さんの作品にはそれではちょっと弱いと思うのだ。
一体彼らがなんのために殴り合うのか、戦うか、と言えば、「おのれの正しさ」を勝ち取るため、自分の正当性を主張するためだ。」(P.352)
そうそう、まさにこれです。これがイヤーな気分にさせるのです。
今回でいうと、久美香、光稀、すみれ、と立場の違う女性たちが登場します(実際はもう少しいろいろ出てきます)。さらに陰口や嫌みなどが飛び交う中、概ねこの三人は自分の正当性・正しさを疑わない。その頑固さというか、視野の狭さ?は怖いくらい。
あとは典型的な帰納の誤謬というか、一般化をやらかし、「田舎の人って」「地元の人って」「よそから来た人って」、と相手と正面から向き合わず、憶測で判断する。
私は、「普通は」「常識じゃあ」とかいう言葉は、もはや受験での「必ず」「絶対」という形容詞と同じくらい疑わしい、と感じています。
それくらい価値観や見方の変化が著しいなかで、自らを省みず(敢えての演出的にではありましょうが)に相手を悪しざまに言う。この強烈な主観がイヤーな気分にさせる気がします。
皆さんはどう感じるのでしょうか。
おわりに
ということで、4カ月ぶりの湊作品でした。
基本的に女性たちのすれ違い(マウンティング?)のストーリでありました。
一つ思い出しました。
名古屋に住んでいるとき、家内は、とあるママ友にえらく嫌われたのか「〇〇(家内の出身。今の居所)って電気通ってるの? てかみんな木の上に住んでいるんでしょ?」と揶揄されたことを思い出しました。
今はすぐキれる家内ですが、その時はよく耐えたと思います。子どもがいる手前、というのもありますが。
移動の自由があってよかったと心底思います。
ということで本作、女性の泥沼な口撃が好きな方、田舎暮らしを考えている方、転勤族の妻等々は楽しめる作品だと思います。
評価 ☆☆☆
2024/06/22