ポリティカル・コレクトネスかまびすしい昨今です。
「ぶす」という言葉。口ずさむのも憚られることがあろうかと思います。即、「炎上」しかねないNGワード。テレビやラジオなどのマスメディアをはじめ、SNSなど不特定多数の視聴者・読者に届いてしまう場ではなおのことそう。
でも、西さんの本作。のっけの帯に「ぶす」の言葉遣い。うほ。
世間へおもねることなく、軽やかに私の心配を飛び越えていってしまいました。清々しいまでの潔さです。
ひとこと
相変わらずの西ワールド。テンポよい関西弁で独自の世界観が展開されます。猫、兼、語り部たるラムセス2世もいい味を出しています。
あらすじ
いわゆる「ぶす」であるきりこが、「ぶす」という認識がないまま、たいへんたいへん可愛がられて育つものの、思春期も始まろう小学5年生のある日、好きな男児に思いの丈を綴ったことで、自分が「ぶす」であることを認識。その後の自己受容の過程と周囲で起こる出来事をユーモラスに綴ります。
自己を鳥瞰・認知し、ステージをあげる
ネタバレで申し訳ないのですが(でもこれを語らないと何も伝わらないのですが)、本作のクライマックスはきりこの「ぶす」の克服、だと思います。
外見と内面とは、恋愛等で人を評価する際に常に議論される二面でありますが、どちらかではなく、どちらも自己であります。きりこに限らず「フツー」に見える人だって、若いうちは自身の外見を受け入れるということが難しいかもしれません。
いわんや「ぶす」であるきりこが自分の「ぶす」性を自覚しショックを受けながらも素直に受け入れ、その上で自分の内面に焦点をあてて自己理解を進めるというのは、ありふれた筋ながらきりこを魅力的に映し出しています。人は外見(だけ)じゃない、それだけで判断すんじゃねえ、と。
でも、本作でひときわ印象的なのは、そんなきりこですら、やはり外見にとらわれていたことが明らかになるシーンではないでしょうか。成人した後に、初恋のこうた君と再会し、何か以前のこうた君と違うな、前の方が良かったなと思い、ふときりこ自身も彼の外見しか見ていなかったことに気づくくだりです。
「ぶす」という外面へのレッテルの被害者であるきりこ自身も、外見の偏見から逃れられていなかった。でも、そのことに気づいたという点に、人間の成長と希望を感じました。
余談ですが、私の個人的な成長実感は、たいてい自己客観化と自己認知による気づきの直後であると感じています。だからか、自己認知を経て、一段「メタ」の視点を得て成長するきりこに、感情移入してしまったのかもしれません・・・。よく客観化できた、でかした!、って笑
ラムセス2世、おモロ可愛くて反則
あと、本作の語り部たるラムセス2世。こういうヘンテコなポジションをポンと、実に自然においてしまうのが、西さんのすごさか。
ナレーションをつかさどる天の声のようなポジションでありながら、ちょいちょい自己を出してしまう、この猫。実は猫って、未来も過去もすべてがわかっているらしいですよ(作中の設定)。ただどうして分かるのかは分からないそう(賢いのかアホなのか分かりませんね)。
おわりに
ということで、私のお気に入り、西さんの作品でした。
外見・内面という人間の二面をどう受け入れるかという話を、関西弁でユーモラスに彩る作品であったとおもいます。全体ひっくるめると自己陶冶・成長物語でもありました。
作品の展開が一つの集合住宅からであり、そこに集う多くの人たち(AV女優になっちゃう人、新興宗教にはまっちゃう人、DVをやっちゃう人等)を貴賤や価値判断を含まずフラットに描いている点にも好感が持てましたね。
また、ちせちゃんのキャラ設定も要注意。セックス好きであっても同意のないセックスはレイプであるという性交渉の同意について示唆は、特に若い子は真剣に考えるべきトピックであると思いました。
本作、やや刺激的ながら中高生にもおすすめできると思います。また、関西弁のノリが好きなかた、猫好きにもおすすめできると思います。
評価 ☆☆☆☆
2023/04/28