皆さん、こんにちは。
突然ですが、本当にタイトルのつけ方が無粋でセンスがなくって申し訳ないです。
作品は実に面白かったのですが、吹けば飛ぶようなわずかなセンスでタイトルをつけて、こうなりました。
そろそろAIを使わなきゃですかね。
ただ私、つい世の中の流れと逆行したくなるんですよねえ。。。
はじめに
伊坂氏の作品をこれまで大分読み進めてきました。
初期のものから22作読み進め、これで23作目。
本作は2012年の作品。2000年の「オーデュボンの祈り」はじめ初期の疾走感に満ちた雰囲気から考えると、大分落ち着いた筆致かなと感じました。
とはいえ、洒脱さや奇想天外感は今回も健在で、十分堪能させていただきました。
止められない・止まらない疾走感
本作、いい意味で切れ目がありません。
目次も章立てもなく、途中途中で猫のマークで節のストップがあるだけ。トム君がメインキャストですからね。
また構成も、三つの場面を行き来します。
一つは猫のトムが語る、彼がいた国が鉄国に占領される状況。一つは猫のトムと、仙台の公務員の「僕」とが会話する場面。そしてもう一つはクーパーの兵士が遠征に行く場面。
時代や状況がかなり異なる上、断片的な情報のみが与えられるため、欠けた部分を埋めるべく初めは読み進めました。そして、その埋まる部分が増えていくにつれ、今度は三つの場面の繋がりが分かってくると、物語の全体像が見えてきて、これまた気持ちよくて止まらなくなる。ミッシング・パーツをもっと埋めたくて、展開を知りたくて、更にページを手繰る手を止められなくなる。
この読ませるテクニックも伊坂マジックと言えましょう。
寓話的な通底音:信じてみる事、理性を鍛えること
もう一つ。
伊坂作品では、何というか、人間の良き部分に信念のある性善説的なキャラづくりが物語を方向づけている部分があると思います。
今回でいうと、猫のトム。本能から鼠に飛びかかってしまうのですが、おのが国を占領される最中に<中心の鼠>から、今後鼠を狩ることをやめてほしい旨、団交を申し出される。
鼠たちは狩られるリスクを冒して猫のトムに賭けたわけですが、その態度はトムをして
「疑うのをやめて、信じてみるのも一つのやり方だ」(P.300)
と語らしめます。
この信じることの可能性は、パッとしない仙台の公務員「僕」が、浮気した妻を今後信じてゆくかどうかという事で一つの道を示しているように思います。
難しいことではあるのでしょうが、そこを敢えて信じてみるのは、文字通り一つのやり方であり、そういう生き方もあっていいんだと思います。
また猫のトムが、本能から鼠にとびかかりたいのを少しづつ押さえていく様。これもまた理性の可能性を寓意的に示しているようにも思えました。
ああ、うまく表現できないのですが、伊坂氏はこういう「人の力」みたいなのを本当に上手にストーリーに練りこんでくるのですよ。で、私はこういうのが好きなんです。
ちなみにトムは猫ですが、まあ喋って考えることができるという時点で既に人と同等ですよね。
おわりに
ということで伊坂作品を堪能しました。
未知なるクーパーと戦う+国中を塀で巡らす、という当初の描写で、すわ進撃の巨人か、と思わせましたが、全きツイストに私の予想は見事外れ、思っても見ない結末となりました。あっぱれな結末。
戦争敗北・政治(王族)腐敗というひんやりした設定は、「魔王」や「モダンタイムス」などにみられるファシズム的ネガティブエッセンスと通底しますが、本作はそうしたひんやり風味を残しつつ、どこか明るいユーモラスさが漂うエンターテイメント小説に仕上がっていると感じました。
評価 ☆☆☆☆
2024/05/23