ガザ地域のハマスとイスラエルの衝突・内戦、誠に痛ましい限りです。
私の今年のテーマの一つはキリスト教の勉強でしたが(過去形!?)、その先には、いつかイスラエル近辺を聖書を片手に歩いてみたいという仄かな夢がありました。そんな矢先の紛争ぼっ発でありました。
本件、目先の「どっちが先に手を出した?」という問いは無意味で、第二次大戦時の英国の密約やその後のイスラエルの独立、さらに遡り旧約聖書やそれらを巡る解釈にまで事は及ぶと言っても過言ではないかと思います。結局歴史を遡らないと包括的な理解に至らないのかな、と考えています。
で、本書です。
本書は、旧約聖書の内容について、歴史的な解釈や聖典外資料からの裏付けを通じて、より深く理解しよう、というものであります。時事的な問題が記憶に新しい昨今、民族の起源やその仮説などは心に沁みるものがあります。
概要
欧米の一部では聖書の内容は一字一句事実であり、それを信じるべきというキリスト教宗派があると聞いたことがあります。
もちろん、一般的な現代社会に生きる、普通の方々はそうでは無いかと思います。
とは言え、疑問は残ります。なぜそのように聖書は書かれたのか。なぜそのような荒唐無稽な描写がされたのか。あるいは荒唐無稽さは2000年前だったら「普通」に見えたのか否か。
そうした聖書(旧約)の内容に配慮しつつ、パレスチナ・イスラエル近辺の地域の歴史を、古代から共和制ローマ末期程度のジャスト紀元0年(なんていうんだ?)近辺まで辿るものです。
出エジプトにまつわるエトセトラ
例えば。
本作では民族の出自としてモーセの存在の真偽については不問に付しています(いたかもしれんし、いなかったかもしれん)が、イスラエルという民族はこのモーセからの万世一系かのごとく続いてたことは否定(つまり普通に混血)。さらに出エジプトというイベント自体も疑わしい旨を述べています。
むしろこうした「奇跡」は民族の政治的結束のための共通の物語であると解釈しています(主に第三章)。
エジプトや「海の民」からの攻撃により、追い詰められた民族。その民族結束のために作られたストーリである可能性は高い。そんな背景を説明してもらうと、「確かに」ってなりますね。
王制、バビロン捕囚など
もう一つ。唯一神を崇めるのに、(リーダーとかではなくて)王様を担ぐって、変ですよね。旧約聖書でも、つと疑問に思うところです。だからこそ、痛い目(神の罰)にあうってのはありますが。
これを歴史的にみると・・・。
一神教的文化背景と王制はなじまないため、国内からの反発があったものの、外的要因(外国から攻められる等)により王制が導入されたようです。強力なリーダーが不在なため、戦争で連戦連敗と。その点で致し方なく的な様子であった模様。このあたりはサムエル記の内容と同時代の話です。
それでも結局、アッシリア(紀元前8世紀ごろ)にはメタメタにされ、混血を余儀なくされたそう。
しかし、それ以降も割と連戦連敗だったよう。でも、エジプトの支配にせよ、バビロン捕囚(紀元前6世紀ごろ)にせよ、宗教的自由は比較的考慮して貰えた模様。捕囚で連れてこられたバビロンでは、当然神殿などもないので、みんなで集まって教えを勉強するなど、ある意味宗教的含蓄が高まったそうな。
またバビロンで商業等で財をなしたユダヤ人は一部、ネブカドネザル2世亡き後もバビロンにとどまるものも多かったそう。
・・・なんて内容を読むと、あたかも奴隷として連れてこられ悲惨な目にあったなんていう都市伝説的マンデラ・エフェクトをよくもまあ受け入れていたなあと感じます。
ヘレニズム以降
その後はヘレニズムからローマまで、細かい記述が多いので割愛。
ただ、頻出する「古代誌」というユダヤの歴史書。これは旧約を学ぶ人にとっては重要なものなのでしょう。しょっちゅう引用・比較されています。
おわりに
ということで、宗教書を歴史的に読むという、非常に知的に刺激的なエクササイズでありました。
こういうやり方は不敬なのではとも思えたのですが、意外に一般的な様子でもありました。ドイツでこの手の研究が盛んな模様。
旧約を読んだらもう一度戻って来たい作品です。
評価 ☆☆☆
2023/11/19