皆さん、花に興味ってありますか。
私はさっぱりです。おっさん、まあまあ都会育ち、便利な生活大好き。そんな輩には、日常で花がその位置を占めることなぞ、これまでの人生では皆無に近かったです。花といって思い出すのは、嫁さんにプロポーズした時に一万円くらいの花束を買ったのと、(なぜか)名古屋の鶴舞公園で以前花見をしたことくらいです。
そんな花が、本作のモチーフとなります。
花を愛でる老人が殺害されますが、その真相がまた東野氏らしく、よくもまあ考えたなという展開をします。全く花に興味がない私でしたが、一日で読了しました。
一風変わった家に生まれた中学生。その子が、大学院も博士課程までいって悶悶としている時に出会う怪事件と、その事件解決を通じての自己陶冶、そして明かされる家族の秘密。
中学生の淡い恋愛や、大学院生の行き詰まり感など、私は個人的には非常に共感いたしました笑
才能ではなく鍛錬で人と渡り合え
さて、ひとつネタバレになりますが、タイトルにも書きました人の才能については非常に考えさせられました。
登場人物の一人は、ユニークな存在になりたい、独自のインスピレーションが欲しい、という欲求から幻覚剤に手を出し、身を滅ぼします。自分も相応の能力(通常であれば人から羨ましがられるほどの)があるのに、それでもなお上を行く者を羨ましがる。
その気持ち、わかります(まあ頭の切れや運動の才能も鼻くそ程度しかありませんが)。でも、その考えは若い、若すぎる! 読んでいて、周りがちゃんと教えてやれよー、と思っちゃいました。
人は誰しも、自分はひとかどの人間になれると夢想するものです。が、その多くは人生のどこかで自分を知り、挫折し、自分と折り合いをつけるものです(夢を否定するわけではありませんが)。
ただ、若いうちは中々自己認知できないので、親や周囲の支えあるいは発想の転換を促す言葉が俟たれます。というのも、才能が有ってもその対象が好きでないとかで別の道を選ぶ人、あるいは、飽きっぽかったり集中力がなく才能を持続的に発揮できない人、沢山いるのです。一方「好き」であれば、その対象に持続的に鍛錬が続けられ、いわゆる才能のある人にも勝てる(ことがたまにはある)。私はそう信じています。じつは『究極の鍛錬』という本の受け売りですが。
だから、自分の「好き」を把握し、世間に多数いる才能あふれる人々との闘いには、自分の「好き」をレバレッジにして闘いに挑む。これが平凡なおじさんの基本戦略です。アラフィフの今、大勝ちはしないけど大負けもしてない程度の結果は残せました。
まあでも、そんな堅苦しいこと考えなくても、充分面白い東野圭吾氏の作品です。普通に楽しく読めます!ガリレオシリーズをはじめて読んだときほどの驚きはありませんでしたが、安心して楽しめる完成度の高いエンターテイメント小説だと思います。
評価 ☆☆☆☆
2020/10/20