これを書こうとした正に今、普段使っていた外付けHDDが壊れました。正常だとランプが青なのですが赤くなっています。ため息。
今日は朝からケータイのはてなアプリも不調で開かないし、なんだかIT運が低めかもです。
『明日死ぬとしたら、あなたならどうしますか。』
これほどに陳腐で、使い古され、なおかつ備えられていない問いがあろうか。
あらゆる生物は始まりと終わりを持ち、成長するに従いその終わりを意識し始める。
でも、『さしあたり』この問いは保留されたまま。
本作『終末のフール』は、8年後に惑星が地球に衝突し、それが不可避で、とどのつまり大多数の人間が遠くない将来に絶命するというSF・ディストピア的設定。そして死が万人に意識され、騒擾がひとくさりあり、その後の小康を得たころの人々の有様を描いています。
構成
惑星衝突を5年後に控えた仙台のとある住宅地という共通の設定。表題作「終末のフール」はじめ「太陽のシール」「籠城のビール」「冬眠のガール」「鋼鉄のウール」「天体のヨール」「演劇のオール」「深海のポール」の計8作の短編からなる。
非スリラー。でも伊坂色はしっかり
今回、サスペンス・スリラーものではない作品として書き始めたそうですが、伊坂氏独特の人物の連関が随所に見られます。
従前は異なる作品で同一人物が登場したりしていましたね。
本作では短編間で同一人物が行き来します。「終末のフール」で登場するビデオ屋の渡部は「深海のポール」では主人公ですし、そのほかにも渡部氏は登場します。
むしろ、この仙台の団地「ヒルズタウン」を各主人公の視点で切り取った、というべきか。その点では8編で8様の終末物語が描かれているといっても良いかもしれません。
とにかく、生きる
そして、これもまた伊坂作品でつと言われる「健全な倫理観」のようなものがベースに作品が構築されている気がします。
今回でいえば「生きること、それだけで正しい。生き抜くことは義務」とでも言った生命観。特に最後の短編「深海のポール」で、主人公渡部とサッカー仲間の工藤との間で交わされるセリフが胸を突きます。
「渡部の親父さんの言葉は鋭いよ。『光あるうち光の中を歩め』っていう小説があるだろ。あれを真似れば『生きる意味がある限り、生きろ』ってことだ」
「どういうことですか」
「死に物狂いで生きるのは権利ではなく、義務」
人は、とかく、物事に対して意味を求めがちです。生きることにも当然意味を見出したくなります。意味はあると言えばあるし、無いと言えば無い。人によって、宗教によって、異なることもあるでしょう。神の命のもと生かされていると思う人もいるでしょう。あるいは、リチャード・ドーキンスよろしく、個体の生命なぞ所詮、種と遺伝子の「のりもの」で、個々人の人生に意味などないとシニカルになることもあるでしょう。
多元的な考えが認められるからこそ、この「とにかく生きる」というシンプルなメッセージの基礎づけが重く沁みます。
もちろん、それでも答えを欲しがるのは若者にありがちな話です。自分の生きる意味なんてあるのか、どうせ死んでしまうのに一生懸命頑張って何になるのか。とか。
私も自分の父親に真剣に問うたことがありました。確か大学なんて通っても意味がないとやめようとしていたんだと思います。あまり覚えていませんが。
あれから30年ほどたちます。いまだに生きる意味なんて分からんし、生きる目的や好きなことだってどんどん変わるものだと感じています。むしろ若い時に確信してる方がちょっと嘘っぽくね、くらいにすら思います。
おわりに
ということで非スリラー系伊坂作品でした。
誤解を恐れずに言えば、「生きる」原理主義とでもいった倫理観の通底する、ディストピア作品?でありました。
そうした点でいうと、思想系の好きなかた、議論好きなかた等には楽しんで読んでいただけると思います。倫理のディスカッションのネタとしても面白く読めると思います。
評価 ☆☆☆☆
2023/07/08