海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年もセカンドライフ等について思索したく。

バビロン捕囚とエルサレムの破壊を嘆く | 旧約聖書 哀歌 『聖書 新共同訳』

皆さんこんにちは。

居所へ戻ってきて、三カ月ぶりに聖書読破計画を再開。

今回のものは実に短いものでしたが、まあ再スタートのウォームアップにはまあ良いでしょう。

何とか本年じゅうに旧約新約を終え、来年からはシェークスピアに取り組みたいというのが個人な野望であります。

 

 

哀歌とは

紀元前586年のネブカドネザルによるエルサレムの占領とバビロン捕囚。

哀歌ではこのエルサレムの様子と、(ユダヤの)神の無慈悲、そしては、ユダヤの民の自責の念・後悔が謳われます。

 

 

むずかしいなあ

現代的に読むと、やはりすべての事象を自らの不作為に還元するという態度は日本人的にはまあ理解できます。人を動かすことはできないが、自分を変えることはできる、みたいな。

でも、自らの不作為とは何かというと、ユダヤの神の掟・律法に反した、という所はやはり、無宗教的な(あるいは多神論汎神論的な)日本人の私にはやや理解しがたいところでした。

 

これまで旧約を読み進めてきましたが、「神」の意図は時として分かりづらく、それを探るのは困難だと感じます。あらゆる厄災を神の意趣返しと解釈することは可能ですが、その解釈をする人はだれか(聖職者?)、その聖職者を信じていいのか、などふつふつと疑問もわいてきます。

 

ということで、哀歌は誤解を恐れずに言えば、「僕たちが悪かったんですー、ごめんなさいー」と嘆く幼稚園児のような反省の詩に映りました。

 

おわりに

ということで旧約聖書の哀歌でした。

次回から哀歌、そしてエゼキエル書に進みます。

 

評価 ☆☆☆

2025/05/12

 

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