海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

ちょっぴり不思議で優しい「小川洋子的世界」を |『偶然の祝福』小川洋子

はじめに

小川さんの作品に一か月ぶりにお目にかかります。

本作は2000年に発表された作品ですから、割と古い部類のものかもしれません。四半世紀か。

 

構成について

本作は連作というのでしょうか。同じ主人公によるシーンの違う短編で構成されている作品となっています。

 

作家が主人公、ペットとしてラブラドールを飼っている、息子さんがいる、という背景から、なんだか小川氏本人を模したのかなあなどと勝手に想像してしまいます。作家の母親がキリスト教に没頭している設定も、小川さんが宗教の家で育った(from wikipedia)影響があるのかなあ、とか。

 

印象:意外と普通かな

それでですね、読了した段階ではなんというか結構「普通」でした。

 

小川さんの作風は、一種異様な場景を現出させ、それでいて淡々と美しく世界を彩る、それこそ「ギャップ萌え」的なところが印象的であると思います。

たとえば「ブラフマンの埋葬」では、正体不明の小動物を愛でる主人公とその小動物ブラフマンの死が淡々と語られました(ブラフマンが何モノか分からないモヤモヤはそのまま)。

猫を抱いて象と泳ぐ」では、姿を隠してしかプレイできないチェス名人「リトル・アリョーヒン」の短く悲しくでも明るい人生が描写されました。

 

私の読んだ上記の作品群と比較すると、本作の作家という対象は割と普通なのかもしれません。いやもちろん普通じゃないんですけど、正体不明の小動物と比べたら、ねえ。

 

それでも滲む「小川洋子的世界」は優しい

で、ここからフォローに入ります。

それでも作品には小川さんらしさとでもいおうものが全体を覆っていると感じました。奇しくもあとがきで川上弘美さんが指摘している通り、「小川洋子的世界」が現出していたと思います。

 

改まって、じゃあこの「小川洋子的世界」、小川さんらしさって何かを再考すると、人に対して優しい性善説的に見る?みたいな、そんな安心感があるかなあ、と感じた次第で。

 

ラブラドールのアポロは当然犬だから喋れないけど、小川さんの手にかかると、やはり作家である主人公「わたし」と強い信頼関係があるように見えます。まるで小川さんと会話するかのように犬が物語を動かします。

エーデルワイス」での主人公の作家のファン、自称「弟」さんも、今ならばストーカーとしてしょっ引かれかねない変態おじさんでしょうが、小川流に描写すると、結構変わっているのですが根は悪くないみたいな、ちょっと憎めない感じになります。

 

なんて言いながらぱらぱら本をめくっていると、なんだ、そこそこ面白かったし楽しんでいたじゃないか、という気にもなってきました笑 お手伝いさんキリコさんの話「キリコさんの失敗」もほっこりしていてよかったしね。

 

おわりに

ということで小川氏の初期の作品でした。

ちょっぴり不思議な、優しい「小川洋子的世界」を味わいたい方は是非。

 

評価 ☆☆☆

2024/04/06

作為的安っぽさと時代のオマージュで読者を引き込む |『さらば雑司ヶ谷』樋口毅宏

はじめに

樋口氏の作品はこれで三作品目。

これまで読んできたところですと、彼の特徴といえば、どぎつ目なエログロといったところ。

日本のセックス」ではスワッピング狂の旦那に嫌々連れていかれるうちに欲情してくるその妻の心情を描いていました。性描写がどぎつ目。

民宿雪国」ではその民宿のおやじの実相を複数の取り巻きの視点から描写し、善人の顔から残酷な人殺しまで、ピンキリの描き方といった様子。殺人がどぎつ目。

 

作為的な安っぽさとネタばらし

そして今回のさらば雑司ヶ谷

今回も性描写も暴力もどぎつ目だったかもしれません。ただし今回は男と男の方。

というより、まあ設定がぶっ飛んでいてですね・・・。生まれも育ちも雑司ヶ谷。そこを根城にする強力な新興宗教の跡取りが主人公です。カラーギャングよろしく街を牛耳り、悪事を行い(教祖の力でもみ消し)、そしてちょっとした義憤が原因で中国へ人探しに。その後セックスとシャブ漬けになるも命からがら帰ってきて・・・なんて話でして。

 

でも、そんな話ですが、意外と(失礼)面白いのですよ。

パルプフィクション的な安っぽさ・ばかばかしさ、でしょうか。主人公が拷問シーンを「Qタランティーノというよりたけし軍団」と場景を自らネタばらしして語るあたりは技ありでしょう。

この作為的安っぽさは、舞城王太郎氏の「土か煙か食い物」を想起させます。

ああいうのが好きな方は、本作も楽しめると思います。

 

平成初期を生きた人には刺さるアイテムの数々

他にも、巻末に水道橋博士町山智浩氏がことばを寄せているのですが、時代のアイテムへのオマージュ的伏線に富んでおり、お笑いやテレビ(たけし軍団)、映画作品(タランティーノ)、音楽(小沢健二)等、刺さる人には刺さるような伏線がちりばめられています。

 

因みに私は、雑司ヶ谷、にぐっときました。

近くに住んでいました。というか池袋ですが。

今から二十年前ほど、雑司ヶ谷といえば、池袋からほど近い都心のど真ん中にあって、取り残されたようにたたずむ下町という雰囲気でした。居所の最寄り駅の池袋は、駅から降りると風俗の呼び込みがあったり、夜勤で深夜に帰ると馬乗りで喧嘩とかしている風景を目撃してしまったりするバイオレンスな町。ところがその池袋から15分も歩くと、駄菓子屋や木造家屋がたくさん残っているような街が雑司ヶ谷でした。雑司ヶ谷鬼子母神)の助産院で初めての子どもを授かりました。

 

おわりに

ということで、樋口氏のバイオレンスあふれる作品でした。

エログロ系が大丈夫な方、下品なユーモアを許容できる方にはお勧めできると思います。

 

評価 ☆☆☆

2024/04/05

パンチに欠ける?もとりあえず三部作終了 |『黄金のローマ 法王庁殺人事件』塩野七生

 

はじめに

塩野氏による歴史絵巻三部作の最終作。

緋色のヴェネツィア銀色のフィレンツェ、に続き、黄金のローマ、であります。

もし本作を初めて手に取った場合は、悪いことは申しませんので、是非いちから(ヴェネツィア)から読むことをお勧めします。

 

歴史的深みにやや欠けたか

主人公はヴェネツィアの貴族マルコ・ダンドロ。今回もまた高級遊女である彼女のオリンピアと一緒です。

ただ、何というかマンネリ感は否めません。

 

これまでの塩野氏のあとがきによると、架空の人物であるマルコとオリンピアを使い、むしろ「都市を描く」ということでありました。これにはなるほどと感じました。

 

ヴェネツィアでは、トルコを相手にした諜報戦やヴェネツィア共和制の政治の仕組みが巧みに描かれており面白かったです。

フィレンツェでは、これまたメディチ家の家門内の政治闘争、そしてイタリア人であってもヴェネツィアフィレンツェで考え方が違うという地方人気質の描き方が面白かったです。

そして今回のローマ。確かにローマは描かれているものの、どちらかというと架空の人物であるオリンピアに焦点が当たっていたように思います(彼女の隠し子問題やモトカレの存在など)。これはこれで面白かったのですが、歴史的な深みは前作2作よりは感じられなかった気がします。

 

ローマといえば、やはり法王庁ですが、この内部のドロドロさ加減にフォーカスすればもっと面白かったかも、と思った次第です。

 

気になる表紙

そして、自然と目がいってしまう表紙の裸婦。

これはイタリアの巨匠ティツィアーノによるもので、「ウルビーノのヴィーナス」として有名(ウフィツィ美術館収蔵)。とても肉感がありますね。Wikipediaにも「官能性をより追求した」とありました(そうやって表現するのか。危うく「エロい感じ」とボキャ貧表現をしそうになった)。 

ja.wikipedia.org

因みに上記wikipediaでは本絵画が後のマネに影響を与え、ほぼ同一構図の「オランピア」という作品に結実したことが記されています。塩野氏が高級娼婦としてオリンピアという人物を描いたことも決して偶然ではない気がします。

 

おわりに

ということで塩野氏のルネサンス歴史絵巻三部作の最終作でした。

マルコとオリンピアの仲は悲恋で終了したのですが、個人的には区切りがついてすっきりしました。ちょいドロドロしたところも個人的には好み。ただ歴史ネタはもう少し欲しかったですね。

 

それと、ローマの街の様子は沢山描写されています。テヴェレ川沿いやアッピア街道を散策される機会がある方は是非本作を片手に!少し旅行が楽しくなるかもしれません。

 

評価 ☆☆☆

2024/04/03

 

痛快コンゲーム的銀行強盗 |『陽気なギャングが地球を回す』伊坂幸太郎

はじめに

これまた十数年ぶりに読んだ本作。

初期伊坂作品らしい、エンタメ性・疾走感・そして洒脱なセリフとキャラ構成、と全てが光る作品でした。面白かった。

 

あらすじ

4人の出自や性別・年齢のばらばらな男女が銀行強盗を働くというもの。

夫々の特徴を生かして、華麗にかつユーモラスに強盗を働き、かつ誰をも傷つけないという、ある意味善良な強盗団の話。

そしてさる機会に、この強盗団がこともあろうか、他のワルに強盗されるという結果に。背景には何が?そしてどうやってやり返すのか?

 

他作品のプロトタイプが本作に

初期の作品から読み進め、改めて本作を読んでみると、他の作品と類似点に気づきます。

別の言い方をすれば、本作に以降作のプロトタイプが見え隠れしていた、とも言えます。

 

例えば、本作の強盗団の紅一点雪子の息子、慎一。彼の悩みに強盗のヘッド成瀬やその幼馴染の饗野が応じる様子は、「オーファーザー」での高校生由紀夫とその四人の父親たちとの関係を彷彿とさせます(頼りにならない大人たちと子ども)。

 

また、銀行強盗とういモチーフですが、「チルドレン」で陣内(はちゃめちゃ)・鴨井(陣内のお世話?)・永瀬(盲目)が偶然居合わせたのが、これまた銀行で強盗に押し入られたシーンでした。ちなみにそのシーンの詳細は覚えていませんが、ひょっとしたら本作の強盗シーン(饗野の自信満々の演説シーン)などが描かれていたかもしれません(手元に本がなく確認できません。すみません)。

 

もう一つ。本作銀行強盗のグループとよりワルなグループの対決という、言わばアウトロー vs アウトローという構図は、空き巣の黒澤が悪を懲らしめるかのように空き巣を働く「ラッシュライフ」を想起させました。

 

おわりに

ということで初期の伊坂作品の再読でした。

活劇的に生き生きと人物が動く絶品エンタメ小説であったと思います。

一番初めに読めば、以降の伊坂作品の部分部分にその似姿を認めることが出来ると思います。逆に多くの伊坂作品を読んだ後に本作を読めば、それぞれの作品のプロトタイプの人物像が本作で試行されていることに気づくと思います。

 

いずれにせよ、一言、痛快エンタメ小説でありました。おすすめ。

 

評価 ☆☆☆☆

2024/03/31

強烈なシニシズムを示す作品群 |『パニック・裸の王様』開高健

はじめに

過去にも読みましたが、実に20-30年ぶりくらいの再読。

いやあ、なかなかしびれました。

 

本作、4編の短編から構成された作品群ですが、強烈に感じたのが、通底するシニシズムでありました。お金、権力、偽善への痛烈な批判のようなものを感じました。

 

それぞれご紹介

 

「パニック」では、若手公務員の視点で描かれます。自らの属する官僚組織に巣食う汚職や腐敗、権力を毛嫌いしまた見切りつつ、120年に一度起こる恐慌(ネズミの巨大繁殖とその後の農作物大被害)について声高に対策を上程します。新人の戯言として無視されるも、これを「想定の範囲内のもの」としてあえて看過。のちにネズミ恐慌が起こった時の「それ見たことか」感。この斜に構えた感が個人的には大分共感しました。まあ私は50歳手前で「それ見たことか」感出しながら仕事しているダメなおじさんですが笑。

 

「裸の王様」もまた、シニシズムを湛えた、こども絵画教室主宰の「ぼく」の視点からの作品。やや理想主義ながら、こどもの絵をかく能力を「自由に」「制約なく」描かせることに腐心する主人公と、それを無意識に阻んでいる親や家庭環境、あるいは教育の現場。こどもに真正面から向き合わない親や教育現場を痛烈に批判します。

表面的な美徳に潜む腐臭、善意の顔をした商業主義のようなものを全力で揶揄しようとするかのような作品です。

 

 

「巨人と玩具」で感じたのはむしろ徒労感、でしょうか。レッドオーシャンにあえぐ菓子メーカーのキャラメル部門をめぐる話。競合三社があの手この手でシェアを増やそうと努力しつつという中で、「私」が見た宣伝部でのイメージキャラクタの選定や景品の選定などをめぐる話。社会派の作品でありながら、すさんだ競争社会を揶揄しているような作品でもありました。

ある意味この昭和の営業現場の熱気は、今でいうベトナムやインドなどの熱気などに似ているかなあと感じました。徒労感という意味では、私が勤めていた証券会社での終わりのない営業ノルマを想起しました。

 

「流亡記」は中国は秦の始皇帝が始めた万里の長城構築をモチーフにした、用役人夫の視点からの作品。人夫が用役に駆り出される前から物語は始まりますが、最終的にはこの人夫の達観がこれまた徒労感を呼び起こします。駆り出されたことは不幸といえば不幸。でもこれを駆り出す役人も、規定の人員を規定の日付まで送り届けなれば死刑。つまり管理する側される側は同じ土俵で死と向かい合う。人夫は将来の反乱も予想するも、長城の建設・辺境での戦い、王位に就くものの横暴等は続いていくものとの達観を得ます。

単調さの中に物語は終えますが、シニシズムが光る一作。

 

密度の濃い文章

その他、全編にわたりとても密度の濃い書きぶりも気になりました。流麗な比喩や美辞とでもいおう表現が多数使用されています。

とてもライトな書きぶりとは言えないのですが、密度の濃い文章は味わい深い読み口であったと思います。

 

おわりに

ということで開高氏の初期作品の再読でした。

本棚整理のための再読ですが、これは取っておくかどうか迷うところです。斜に構えた感じがとても私のツボでありました。他の作品も読みたくなりました。

 

評価 ☆☆☆☆

2024/03/30

労働者の苦境のなかに、ちょっぴり光る幸せをユーモラスに。 |『魔が差したパン』O・ヘンリー 訳:小川高義

O・ヘンリーは昔読んだ気がします。

近年は気にもしなかったのですが、読書系ブログ界隈(まあ私が見回るところ)ではたまに言及されていたので気になっていました。

今回手術のために日本に帰国していますが、母親の「積読」文庫にその姿を発見、読んでみたものです。

 

はじめに

なかなか良かったです。O・ヘンリー短編の中でも傑作選3冊のうちの3冊目。

東工大名誉教授の小川氏による傑作選・翻訳。

 

全体評

O・ヘンリーは久しぶりです。もう20年以上ぶりかも。この短編集のうち数編は何だか読んだ気がします。

 

洒脱な雰囲気を漂わせつつ、労働者階級の悲哀や小さな喜びを描くところがいいですね。最後にくすっと笑顔をさせてくれます。

 

ニューヨークはマンハッタンに生きる賃借人、あるいはテキサスなど南部のメキシコ国境沿いで生活にあえぐ労働者など。偶然というスパイスを取り混ぜることで、ちょっとした幸せを彼らに運ぶ、というハッピーエンド系のお話が多い気がします。いわゆる感動ポルノ的な大がかりなものではなく、本当にクスっとしたやつ。

 

読むとちょっと元気になれるかも。

 

個別評

その中でも好きだったのを幾つか挙げておきます。

「魔が差したパン」・・・表題作。オチが少しずつ見えてきますが、よかれと思った行いが逆の行為を生んだという構図。恋心+お節介=ありがた迷惑、という残念な結末に。

 

「都会の敗北」・・・埃っぽい農場出身のロバートは、出世し、ニューヨーク社交界で大成功。とうとう高嶺の花、アリシア・ヴァン・デア・プールとの結婚に成功。ところが隠していた母親からの手紙を妻が発見し、赴くことになった生まれ故郷。場違い感が半端ない妻から語れる言葉は・・・。

 

シャルルロワルネサンス」・・・フランス出身の没落貴族のシャルルが催す一世一代の浪費ディナー会。誰にも信用されず客がこないなか寂しいディナー会がはじまるも、神様は彼を見捨てなかった! 南部のマルディグラを思わせる雰囲気のある作品

 

もちろんですが、それ以外にも「クスっ」系のユーモア交じりの作品が多かった印象。

 

おわりに

ということでO・ヘンリーの短編集でした。

訳者の小川氏が頑張って訳出した旨をあとがきに書いていましたが、それを読むにつけ原書でも読んでみたいなあと思った次第です。たぶん版権は切れていると思いますので、廉価で売っているのでは、と思います。私は本当に安くないと買わないシブチンですが。

 

評価 ☆☆☆

2024/03/24

メディチ家内の人間ドラマを描く |『銀色のフィレンツェ』塩野七生

塩野七生氏の歴史絵巻三部作のうち、これが二作目。

 

こんな話

前作同様、ヴェネツィアの貴族マルコが主人公。

前作末、政治勢力図の変更もありヴェネツィアでの殺人事件のごたごたの責任を取らされ、一時的な追放を余儀なくされたマルコ。外遊ということでフィレンツェへ。

 

これまたフィレンツェで政治騒動に巻き込まれますが、フィクションですのでそんな偶然もご愛敬。

今回の舞台はルネサンス期後半のフィレンツェです。隆盛を極めたメディチ家、ではなく、むしろ経済的には落ち目にあり、軍事や政治へシフトしつつあるメディチ家を描きます。

 

政体論からの、現代政治

塩野氏というと、歴史と共に、イタリア政治を語るイメージがあります。

本作では、登場人物に政体論を大いに語らせています。

 

隣国のヴェネツィアが共和国である一方、時のフィレンツェは侯爵の収める言わば君主制。そこで外交経験豊富な主人公マルコは、傍系ながらもメディチ家の若い血、ロレンツィーノと邂逅します。更に、同国稀代の政治家・外交官のフランチェスコ・ヴェットーリらも合流、政体論を繰り広げます。

 

主人公のマルコは創作ですが、それ以外は実際の歴史上の人物ということで、このヴェットーリという政治家はマキャベリの友人であった実在の人物。

物語上では、ヴェットーリのリードのもと、政体の良しあしではなく、市民が満足するならば政体はどれでも良し、ということに。で、市民の満足はどこから得られるかといえば経済的繁栄ということに落ち着いたようです。

 

これを読んだ途端、私の脳裏にはフィレンツェヴェネツィアよりも、明るい北朝鮮と呼ばれるシンガポールが思い浮かびました。色々とルールが厳しかったり(麻薬の持ち込み=即死刑とか)しますが、周辺国はみなシンガポールを目指しますよね。

 

対して日本はどうなんでしょうか。経済?いまいち伸びていなさそう。政治?首相はコロコロ変わります。

日本の(というかうちの!?)会社でもつとに感じますが、長期的視点で運営できないとなると、致命的な無責任運営になりかねない気がします。三か年計画とか言って作っていますが、作成から三年たって、どれだけ携わった人・責任者が残っているのか。

 

もちろん、経営・政治は、いうのは簡単ですが、成し遂げるのは難しいのでありましょうが。

 

それから

その他、前回登場したオリンピア(こちらもマルコ同様創作の人物)も登場。今度は神聖ローマ皇帝カール5世の密使として、時のフィレンツェの為政者の侯爵アレッサンドロを見張るというのがお仕事でした。

 

なおマルコとの熱愛?も相も変わらず続いている様子であります。

 

おわりに

ということで歴史絵巻三部作の二作目でした。

前作はヴェネツィアのほかにイスタンブールまで描かれておりスケールが大きかったため、本作はややこじんまりした印象があります。

 

但し、フィレンツェの街をじっくりと描写しており、旅行に行かれる方にはなかなか面白い作品なのではと思いました。エトルリア人が作ったと言われるフィエーゾレ、ウフィツィ美術館、ベッキオ橋等々、観光地の有名どころがかなり描きこまれている印象です(地図付きです!)

 

評価 ☆☆☆

2024/03/23

 

三部作の一作目も読みました。

lifewithbooks.hateblo.jp

 

 

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