わたくし的には、今月は、「新たな作家さんを渉猟する月間」であります。
海外に居ると店頭でのジャケ買いも難しいですし、さりとてネットのAmazonでAIにリコメンドされる本を買うのもなんだか癪だし、新たな出会いを生み出すことは結構難しいかもしれません。
そういう点では、皆さまのブログというのは非常に参考になります。まさに百人百様で、自分だったら手にすら取らなそうな作品、全く知らない作品などが沢山紹介されています。
で、今回の作品は少し前にClariceさん(id:Lavandula-pinnata)のブログで発見したものです。
lavandula-pinnata.hatenablog.com
で、結論から言うととても「オモチロイ」作品でした(一応作中のセリフのパクリですが、おっさんが使うと只々キモいだけですね…)。
私なんぞは、趣味や関心を大分絞り込んで生きているのですが、こういう新たな出会いがあると、改めて心をオープンにすることの大事さを痛感した次第です。このジャケットはこういう出会いがなければ自分から能動的に手を取るそれじゃあないんですよね。
皆さんの日々のPostに改めて感謝致します。
ひとこと
森見氏の作品、私は初めて読みました。
面白かったです。大学生+空想+京都+恋愛、等々のファクターが織り込まれた不思議な作品でした。
癖になる文語調
その中でも一番印象的だったのは言葉遣い。
語りの視点は、「先輩」だったり「黒髪の乙女」だったり、キーパーソンたちが折々入れ替わるのですが、彼らが皆、やや古めかしいインテリ雰囲気の言葉遣いをしているのです。その技巧的な文語調が作品全体を支配しており、最初はどうも鼻につくように感じました。
ところが、読み進めるにつれ、何だかその文語調の語りが癖になってきて心地よくなってくるので不思議です。
京都という舞台設定の妙
そんな文語調の語りがしっくり馴染むのは、ひょっとしたら舞台が古都・京都であるからかもしれません。
思い返すと、中学生の国語の教科書には森鴎外の「高瀬川」が収録されていました。私自身のもそうでしたし、中三の娘の教科書にもありました。つまりですね、京都・歴史もの・文語という組み合わせは非常なる親和性があり、この三点セットは日本人に言わば刷り込まれているといっても過言ではないのかもしない、と主張したくなってしまうのです。
先日も芥川龍之介の作品を読んだのですが、やはり京都を舞台にした歴史ものが多く(「邪宗門」「地獄変」など)、その美しい文語調に「ああ、京都に旅行に行きたい」とサブリミナル的な想起が展開された次第です笑。
「黒髪の乙女」と友達になれたら楽しそう
また一部の男性諸氏から熱狂的な支持を受けそうなのが、この古風な「黒髪の乙女」の設定ではないでしょうか。
先ず、本好きという点。彼女が古本市に足を運ぶというくだりが物語前半であります。その中で彼女は、これまで読んできた本として、オスカー・ワイルド、マーガレット・ミッチェル、谷崎潤一郎、円地文子、山本周五郎、萩尾望都、大島弓子、川原泉、ロアルド・ダール、ケストナー、C・S・ルイス、ルイス・キャロル等を挙げています。
私も一部は読んだことがありましたし、一部は読んだことがない本です。きっと自分のおすすめとか彼女のおすすめなんかを話したら盛り上がるのかなあと夢想。
加えて彼女がいまいちイロコイに世慣れていない点などは、「先輩」と一緒で、守ってあげたい欲求が湧いてくる男性が多いのではないでしょうか。ついでにいえば、そんな世慣れない「乙女」がまさかの酒豪であるという点もギャップ萌え?なのだと思います。
無駄にみんなに優しいというキャラですが、これも、ウブな男性が勝手に恋に落ちてしまうやつですね。「乙女」も素直なゆえに、自分自身無意識に周囲に誤解を与えている可能性がありますね。
現代の大学生の描写ではない
そういえば、実は本作、ケータイが一切出てこないんです。
現代の感覚からするとケータイが無い時点で、その舞台設定は既にSFかもしれません。でも私からすると、ああ、筆者も私と同年代に大学時代を送ったんだな、と妙な親近感すら覚えてしまいます。なお作者の某インタビューによると、やはり、今の大学生を描いたものではない旨、仰ってましたね。
おわりに
ということで、文語調が癖になる、アニメのような作品でありました。
京都にゆかりのある方、京都に行きたい方には堪らない作品なのではないかと思います。
評価 ☆☆☆
2022/11/19