海外オヤジの読書ノート

中年おじさんによる半歩遅れた読書感想文です。今年はセカンドライフとキリスト教について考えたく!

今年一番のインパクト。自分を変えるプリンシプルのつくり方 ― 『PRINCIPLES』著:RAY DALIO

事のはじめはメンターからの一通のLINE。7月の暑いさなか、相変わらずぶっきらぼうに以下の動画リンクだけが送られてきた。

 

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16分の結構長めの動画。見ると、どうやら本のサマリーのようです。

・・・この本を読めという事だと忖度する。まあ確かに面白そうだし。ただ、Amazonを探すも、どうも検索に引っ掛からず(PRINCIPLESと英語で検索していました・・・)、仕方なくBookDepositoryという世界中送料無料で送ってくれる英国のチョイ安本屋さんにて7月末に購入。船便で手元に届いたのは8月の末。ようやく10月に読み始め、その後読むのに6週間かかりました(疲れました)。でも届いた本は以下のようなシンプルで素敵な装丁。

 


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感想と概要

今年一番衝撃を受けた本かもしれない。

 

何がすごいかというと、透徹した改善への志向。Idea-meritocracyと呼ぶ、謂わば良いもの至上主義。これを成り立たせるため為のTransparency透明性、の確保。一番正しくて効果があるものを徹底的に議論してやり遂げよう、という考え。これが会社であれば、もし能力がない人が重要ポジションについているのなら、その人はしかるべき訓練を受ける、それでも直らない場合はクビ。これは厳しい。でも、当事者とは今の実力と責務、さらには本人の性格や志向に至るまで徹底機に議論するとのこと。

組織に適用するのはなかなか摩擦が激しく生じそうですが、自分を変えるという意味では得るものが多かったです。

 

内容

実に分厚い本で600ページほどありますが、内容は3つ。1:本人の生い立ち(プリンシプルを打ち立てるに至った経験の数々)、2:プリンシプル(人生編)、3:プリンシプル(仕事編)、と言ったところ。仕事編は人生編の応用ですので、人生編の章立てだけ軽くご紹介。

 

1:Embrace Reality and Deal with It (現実を受け止め対処せよ)

2:Use the 5-Step Process to Get What You Want Out of Life (5ステップを使い叶えたいことを成し遂げよ)

3:Be Radically Open-Minded (超オープンマインドたれ)

4:Understand That people Are Wired Very Differently (人はそれぞれ違ったツクリなのだと理解せよ)

5:Learn How To Make Decisions Effectively (効率的に決定する方法を学べ)

 

自分で書いた途端、訳語等に私の凡庸さが漂ってしまうのですが、実際読むと本当に感動します。特に1と3あたりでしょうか。現実を受け止めろというのは、例えば彼女が欲しいと思っているのにできないという人。その人は心からほしいと思っていない。あるいは言い訳をしている。あるいは頑張っているように見えてアクションがダメダメ。いずれにせよ彼女ができていない現実を見据え、自分がダメであることを認知するところから始まる。まあ例は私が勝手に書いていますが要は”現実の自己を冷徹に見つめる”ことを説いています。

 

3についても1と似ていますが、他人の意見や考えをhumbleに聞き、自分の怒りやエゴの声を省察するべしと説きます。そこに怒りや苦しみがあればそれは成長の種であると。私はこの部分が非常に参考になりました。

質問メールが他部署から来てちょっとでもつっけんどんでぶっきらぼうな感じのが届くと即切れで「こんなんのも知らんのかボケ、調べてから問い合わせろや」的文意のものを結構平気で返していました。実に恥ずかしいアラフィフであります。この本を読み、自分のプライドや偏見がどういう心根から発しているのか、そうした心根を変えないことによる不都合やデメリット、またこれを克服した時の成長の機会・可能性まで省察することができました。

 

とにかく長い道のり

さて、そもそも本作はこのように省察→目標・プリンシプルの措定→プリンシプルのPDCA→システム化、と実に壮大なものになっています。これが具体例をもって非常に細かく(仕事編は更に更に細かく長く)、記載されています。ただ、具体例が多いので非常に読みやすいですし、全部を熟読せずとも、参考になりそうな箇所から各自自由に生活に取り入れればよいのかなと感じております。

 

英語について

英語についてですが、実は非常にシンプル。読みやすい。もちろん分からない単語は出ますが、小説とかより全然簡単です。分からない単語をメモしているのですが(辞書引く派です)一日10ページちょい読んで、引いた単語は大体7, 8語程度です。以前オリバー・ツイストを読んだときは本を読むよりも辞書を引いている時間の方が長かったくらいですから、本作の平易さは想像に難くないと思います。

 

おわりに

今年一番の本といっても過言ではありません。

結局自分がいま程度のショボさ具合なのはすべて自分のせいであることをはっきりと知らしめさせてくれた貴重な作品であると思います(いやまあ気づいていますけどね)。

 

本当に長くて結構ゲンナリしますが、一年に一度くらい読み直して、自らの成長と省察に生かしていきたいと思います。

 

ちなみに、私は英語版を読んでいる途中に日本語訳があることを発見。特別な理由もなければ断然日本語版をおすすめします。読んでいませんが。

 

評価 ☆☆☆☆☆

2021/11/14

閑話休題

ちなみに。ここはためになるなーとか思って付箋を貼りまくっていたら、ほら、この通り。ここまで張り付けるともう付箋の読み返しも容易ではなく・・・。皆さんこういう分厚い本と格闘するときはどうされるんでしょうか?


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ちなみに2。この本、手元に届いたこの本は落丁本で表紙と中身がさかさまになっていました。まあ、読むのに支障はありませんでしたが。あ、ま、強いて言えば栞を下から上に通すのがちょっと面倒だったかな笑 わかりづらいのですが以下のような感じです。


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Principles: Life and Work

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます
(振り返り系の本を読むと柄にもなく殊勝なことを言いたくなります笑)

中世イタリアを堪能しました ― 『デカメロン(下)』著:ボッカチョ 訳:平川 祐弘

いやー、長かった。でも中世イタリアを堪能しました。たっぷりと。

 

タイムスリップができるのなら一週間くらい中世に飛んでみたいなあ等と思いました。作品のように結構退廃的だったのか、あるいはやっぱり宗教的価値観の軛にぎっちぎちにつながれたような社会だったのか・・・。

時は、聖書が民衆の言葉(イタリア方言)に翻訳されるより前。だからこその教会による支配が可能だった時代、きっと牧歌的な時代だったのだろうなあ。

 


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上巻・中巻に続き、本巻が最後。8-10日にわたる30話を収録しています。

話の内容は相変わらずトンデモ話やエロ話なのですが、一番強烈だったのは第9日第10話。ピエトロ親父の妻を神父さんが魔法で雌馬に変えるお話。生々しくて粗筋を書くのも躊躇するほど。興味がある方は是非読んでみてください(神父が魔法で雌馬にしっぱをつける、って書けば大体何があったか想像つくと思います笑)。

 

他方、第10日は「愛やその他のことについて、立派なことをした人の話」というテーマが掲げられます。ここではこれまでと趣向がやや異なり、理性・忠節・貞節・騎士道といった美徳・人徳が発揮されたエピソードが描かれます。

 

ですから、とりわけこの下巻を読み終えて感じたのは、人間の振れ幅の大きさ。邪悪にもなれれば気高く振舞えることこそ人間の特徴なのだなあとひとりごちた次第です。

 

かつてドイツの哲学者のマックス・シェーラーはこのような人間の可塑性を世界開放性Welt-offenheit (ドイツ語怪しいです) と表現しましたが、本デカメロンはそのような人間の特性をありありと表していると感じました。

 

おわりに

中世文学の金字塔たるデカメロンは後世への影響も大きく、『エプタメロン』(7日物語。ヴァロア朝フランソワ1世の姉が記す)や『カンタベリー物語』(英国版デカメロン)が模して著わされました。こうした作品も機会を見つけて読んでみたいと思います。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/11/13

恥部をさらけ出す話の数々こそ、人間中心主義の証か ― 『デカメロン(中)』著:ボッカチョ 訳:平川 祐弘

本作表紙にはオレンジ色の背景で黒字ででかでかとタイトルがあります。

どうやら家内も娘もこの本のタイトルが気になっていたようです。デカメロンって、音の響きも口に馴染みますよね。。。娘に至っては自分の知らない食べ物か何かかと思ったの事でした(「メロン」に引っ張られてますね笑)。

 


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さて、3巻からなる大作の中巻は4日目から7日目の計4日間・40話を収録しています。

 

当『デカメロン』ですが、実は毎日テーマが決められ、話が展開していきます。例えば4日目は「その恋が不幸な結末を迎えた人の話」、7日目は「女たちが夫に対してやらかした悪さの数々」など。でも、艶話・面白話もこうも続くと、多少の変化が日々ついているとはいえやはり少し飽きを感じてしまいます。

 

そんなことをたらたら考えながら読んでいましたが、訳者平川氏の渾身の解説に大きな学びがありました。それはダンテとの対照性です。

 

端的に言えば、ボッカチヨは寛容である、という主張。

ボッカチヨはダンテを尊敬し、作品も相当読み込んだらしく、作中でしばしば『神曲』の構成や言い回しを借用している箇所があります(懇切丁寧に注が付いています)。ところがそのスタンスたるや対照的というのが平川氏の意見。曰く、ダンテは旧来の教会を批判しつつも結局キリスト教至上主義的で、他宗教(ユダヤイスラムです)を異教徒として排他的・攻撃的に扱う一方、ボッカチヨは本作でユダヤ教徒イスラム教徒を悪者扱いすることもありません(寧ろ国内のヴェネツィア人への揶揄が多い)。またダンテが信賞必罰・因果応報的な世界観を展開している一方(煉獄の様子の描写ですからねえ)、ボッカチヨの作風はより人間の本性・欲求を描いており、当然これに対して同情的なスタンスであることが見て取れます。

 

ルネサンスは人間中心、などと言いますが、宗教的ストイシズムがどうにも自然ではないことを筆者ボッカチオが表現しようとしていたとすれば、やはり本作こそがルネサンス文学の代表にふさわしいと思った次第です。

 

そう考えれば、本作も単なるエロ話集成ではなく、寧ろ人間の欲求を認めたうえでどう倫理や規範をファインチューンするかという実践的な議論の発射台にもなりうる、と考えることもできるのかもしれません。

 

・・・

それにしても、本作の註を読んでいて、つくづく翻訳というのは難しそうだなあと感じました。地名をイタリア語読みするか、日本での通称を使うか、などの呼称の統一から始まり、なるべく文章を字義通り訳す努力を続けつつ必要な個所については意訳を大胆に導入するなど。意味が不明瞭な個所はドイツ語訳・英語訳・フランス語訳を適宜参照し、意味の把握に努める(註にその顛末も明記)。加えて、ダンテはじめ過去の作品の言い回しやオマージュについてもきちんと註を打って、読者により深い理解を促す。

これは大仕事です。

 

私は仕事では英語を使っていまして、機会があったら翻訳で小遣い稼ぎでもできないかなーと普段から淡くよこしまな思いを抱いていたのです。でも、自分の普段使いの外国語運用・翻訳は、文学作品の翻訳とは大きく乖離する、というか真逆であることを思い知りました。

 

私はメールにせよ、会話にせよ、『要は何か』という点にフォーカスし読み・書き・しゃべります(ある意味業務上のコニュニケーションはぶっきらぼうでbluntかもしれません)。やりとりは、大意・本意を読み取ることが第一で、その内容の要点を上司に報告するとなると、顛末のほんの一部の中心しか(あえて)話さないのです。

この調子で翻訳をしたら、意訳だらけの要点だけの味わいもへったくれもないレポートができること間違いありません。

 

翻訳者の日々の仕事に感謝をしたくなった今日この頃です。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/11/07

中世世界の豊かでエロい人間模様を描く ― 『デカメロン(上)』著:ボッカチョ 訳:平川 祐弘

世界史を勉強中、14世紀のペストの大流行のトピックで出てきた作品。読みたいとずーっと考えていたのですが、この度、上中下をまとめて購入しました。すべて読んでから記録を、と当初は思ったのですが、自らの更に老化しつつあるサメ脳(要は容量すくない)を思い、上巻を読み終えたところで記録を残そうと思い立ちました。

 


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その前に、皆さんデカメロンってご存じでしたか? 私は、世界史でボッカチョを習うまでは、デカメロンと聞けば私には「少年隊」しか思い浮かびませんでした(ほとんどの方の頭に?が浮かぶことでしょう)。

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ボッカチョは世界史ではルネサンス期の文学者として登場しますね。本デカメロンは、ペストで人口の2/3が死に絶えたフィレンツェで男女10人が10日間にわたりとっておきの話を披露するというものです。

 

全体に渡り艶話が多いのが特徴。とりわけ出家した修道士が性欲むき出しであれやこれやといそしむ話や、連れ合いが居る身なのに「真実の愛」とか何とかでもう手八丁口八丁で合体しちゃう話とか。700年弱前に完成した作品ですが、今読んでも大分ストレートだなあ、とたじろぐ描写です・・・。

 

もちろんそれだけではなく、冒険談やとんち系の話もあります。私の上巻(1日目から3日目までの30話)マイベストはとんち系の話でした。1日目第3話、ユダヤ人商人メルキゼデックが王様から、キリスト教イスラム教・ユダヤ教のどれが一番優れているかと問われ首尾よく返答し難を逃れる話(素直に素晴らしいオチです!)。そういう幅広いバラエティは読んでいて飽きが来ません。

 

ちなみに表紙の作者はボッティチェリ。『春(プリマヴェーラ)』や『ビーナスの誕生』が有名ですが、本作『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』は本『デカメロン』第4日に語られるお話。表紙は上中下巻を横に並べると一枚の絵になります。素敵。ちなみにプラド美術館収蔵だそうです。死ぬ前に一度行ってみたい美術館。ラス・メニーナスもみたいし。

 

おわりに

人間の多様性がよくわかる作品です。

日本文学でも類似の系統といえば、源氏物語好色一代男、あるいは伊勢物語などが好みの方は楽しく読めるとおもいます。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/10/31

 

 

 

デカメロンを全部読んで、いつかフィレンツェに行ってみたい!ついでに世界遺産巡りとかもしたいなあ。

lifewithbooks.hateblo.jp

 

ルネサンス期の宗教界の堕落への批判は先日読んだエラスムスでも激しかった。

lifewithbooks.hateblo.jp

 

伊勢物語は当時中3だった息子と共に読みました。娘とは…ちょっと一緒に読めないなあ。

lifewithbooks.hateblo.jp

アクセルとブレーキを両方踏んでいる。だから変われない。 ―『なぜ人と組織は変われないのか』著:ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー 訳:池村千秋

 

変わりたい、変わろうと努力している。なのに全然改善できない。そんな思いを抱いたことはないでしょうか。

痩せたいけど、甘いもの・脂っこいものを食べちゃう。勉強しなければいけないけど、携帯見ちゃう。話を聞けるよい父親になりたいのに、また怒鳴ってしまった等々。

 

本書はそうした変わりたいけど変われない人の心理に潜む構造を明らかにし、人は幾つになっても変わることができる、と主張する作品です。

 


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変化を阻む原因とは

では変革を阻む原因とは何か。それは、自己に潜む「強力な固定概念」です。

 

人は矛盾を抱える生き物です。向上したい・自分を変えたいという気持ちに偽りはないものの、その裏には自分の変革を阻む固定概念が巣食っていることを認知せよ、と説きます。

 

例えば、とある若き部長の目標。彼は自分がやるべきことに集中し、権限移譲をすすめる目標があった。でもそうできなかった。すぐに新しいことに手を出し仕事を増やし、大量の仕事を抱え込み、他人に助けを求めない旧来のスタイルから抜け出れない。そこで自らを振り返り、自己の底に潜んでいる、「他人に依存せず万能でありたい」「自己犠牲の精神の持ち主でありたい」「課題をやり遂げる方法を見出せなければ、価値ある人材でなくなる」等の当初目標とは相反する想いを抱いていたことを発見する。

 

一段深い自己認知の必要性

本書ではこのような状況を「ブレーキを踏みながらアクセルを踏む」と呼んでいました。確かに、人は往々にしてそうした潜在的な自己保存的欲求に気づかないことが多いと思います。

 

その点本書が促すのは、問題に対するテクニカルな(ある意味表面的な)ソリューションではなく、むしろ一段深層の自分の欲求に気づくよう省察することです。

 

本書では、筆者が提唱する「免疫マップ」という手法を駆使して深層の欲求を認知し変化のきっかけをつかむ事例がこれほどかというほど載っています(読んでいて途中でだるくなるくらい載っています)。

 

組織の変革はトップダウン

なお組織の変革についても書かれています。こちらはあくまでリーダーやトップが出張らないと組織は変わらないというのが結論。やり方は個人のものと同じで個々人の持つ変革目標とそれを阻む固定概念を組織ぐるみで作成し回し読みするような感じ。

 

因みに、私「この腐った会社をどうにか変えてやりたい」という思いを胸に本書(タイトルに注目!)を買いましたが、この点では肩透かしでした。窓際平社員のボトムアップによる組織変革は流石に無理っぽいです笑 まあ地道に自己の能力向上を目指します。

 

おわりに

もともと教育系学部で教鞭をとる筆者の研究のメインは、人の行動の可塑性、のような話。その点で「人は幾つになっても変われる」という結論は、本人だけではなく、私のような中年のおっさんにも福音のようなメッセージでありました。

 

自分を変えたいという真摯な方が自己省察を行うのにはとても良い本かと思います。私も自分でも試してみて、自分の底に潜む強い固定概念を知ることができました。

 

ただ、自分を変えるという意味では今私が並行して読んでいるレイ・ダリオ「プリンシプル」の方が包括的なように感じております笑。極端に行きたい方は「プリンシプル」の方がお勧めです。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/10/29

隣の大切な人の存在が私の日常を作ってくれている ・・・- 『僕らのご飯は明日で待ってる』著:瀬尾まいこ

人は大切な人を失ったとき、どのようにすれば回復できるのか。

 

時間が解決してくれるというのは一つの真理かもしれません。しかし、喪失の傷はあまりに深いもので、どれほどの時間がかかるのか想像すらできません。

 

人が受けた傷は人によってしか癒されないかもしれない。本編でもそう仄めかされていますし、私も直観的にそう感じています。

 


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あらすじ

因みにあらすじは以下の通り。兄を中3時に亡くして以来、もぬけの殻と化していた亮太の前に現れた小春。彼女の存在が亮太の心を開いていき、やがて2人は結ばれるが、彼女に病魔が襲う。超ザックリ言えばこんな感じ。

 

ベタベタの中に光る日常・存在の尊さ

暗いトピックで物語は幕を開けますが相変わらずユーモラスで、テンポよく人間関係を描いています。

あとがきで藤田氏が書いているように、形式としては恋愛小説。「喪失と再生」をテーマとして、その点では巷の小説と比べてもベタ中のベタな展開かもしれません。でも氏がこれまた指摘している通り、題名の「僕ら」「朝ごはん」「明日」というワードの中に日常の貴さや大切さを見出せる点が、本作を単なるベタな作品ではなく、より普遍的な価値を内在する作品へと昇華させていると思います(まあ「絆」「家族」「つながり」というのも陳腐でベタかもしれませんが)。

 

日常とは、人間関係という文脈で言えば、人を支え支えられてという絶えざる相互作用であり、その中で見いだせる幸せを楽しむことが大事なのだと思います。ビジネスパーソン的に言えば、日常の業務をたゆまずに積み重ねた上にしか大きな業績は残せない、と読むことができるのかな、と私は思いました。

 

まあ、いちいちそんな堅苦しく読む必要は全くないのですが、敢えていち夫、いちサラリーマンの立場からそう表現もできるかなと思った次第です。

 

おわりに

本作は読書が苦手な子供たち用に買いました。

瀬尾さんの作品は家族がテーマで、その家族にまあまあ酷い事態が起こるのに、そこをユーモラスに乗り越えるという流れがちょっと癖になります。マンネリズムかもしれませんがそういうマンネリは大好きです。克己というかovercomeするという状況描写に勇気がもらえます。

 

子どもから大人まで楽しく読めるほっこりする作品であると思います。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/10/23

ストレステストの根本思想は経営そのもの ― 『これからのストレステスト』編:大山剛

そんなの想定して意味あるのか?という想定。

10mを越す津波がやってくる。原子炉がメルトダウンする。近所の都市銀行が破綻する。

 

起こる前はあり得ないと考えていたことが起こる。これが現実です。

その一見起こり得ないこと、「例外的だが起こりうること」を想定して備えなさい。これが極々簡単に言えばストレステストの意味合いだと思います。

 

本作はそのようなベース思想のもと金融機関で行われているストレステストについて、歴史的経緯と思想、そして実務的要点について詳述しているものです。

 


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基本実務家向けの本ですが、、、

実務に関わっていないのでそこまで大きな関心はないのですが、金融機関のFinancial Statementを見るとリスクの種類は3カテゴリーに分かれており、Credit Risk(信用リスク), Market Risk(市場流動性に関するリスク), Operational Risk(これは正直よくわからん)とあります。これらについてはVARとかシナリオ分析とか包括的に記述があります。きっと関連業務の方には大いに役立つのだろうと思います。

 

関わらなくても「なるほど」と思える箇所も

そんな中で私が読んでいて感銘を受けたのは当該トピックを包括的に述べている第1部「ストレステスト総論」。

とりわけリーマンショック後の2008年7月にIIF(金融機関の国際的業界団体)によって書かれたレポートのサマリーは面白かった。リーマンショックを振り返り、「リスク・マネジメントにおける経営者の責任が明確になっていなかった」「ビジネスラインから独立したCRO(Chief Risk Officer)がリスク・マネジメントにおいて、十分な役割を果たしていなかった」「ストレステストが機械的に適用され、十分に分析されておらず、経営の意思決定に織り込まれていなかった」等々。あれから十数年経った今でもしばしばみられる状況のようにも思えます。

 

私も、中央当局や本部からのリクエストだとか何とか言われ、巻き込まれてやっつけ仕事で数字を作って出す場合があります。ただその際にはもうやらされ感しかないのですが。でも過去の経緯をこうして知れば自分に降りかかる業務の意味合いについても意義を感じられるものです。

 

シナリオ作りにはグレーな部分も残る

また、ストレステストのシナリオ設定にも議論の余地が多いと感じました。欧米では当局シナリオに基づき各金融機関が同一条件でストレステストを走らせるということですが、これだと各金融機関独自のリスクプロファイルの差異から生まれる重要なリスクがどうしても軽視されてしまうと指摘があります(第1部第3章)。また独自にシナリオ設定するとして、例えば政策の失敗を想定する(一例として長期金利の上昇があげられている)ことの困難さが述べられています(第1部第3章)。これも当局規制の下にある金融機関にあって忖度が働きそうな箇所であると感じました。健全な経営を目指すばかりに当局との間に緊張を孕みうる可能性があるという指摘です。

 

おわりに

こうして考えると、ストレステストの根本思想は極論すれば経営そのものであるように感じた。つまり「どこまでのリスクシナリオを想定して、どこまでのリスクを取っていくか」ということ。金も時間も人員も限られる中、当局規制に従うのは当然の事として、それ以上にどこまで踏み込んでシナリオを想定し方針を定めるのか。これは経営者のみならず組織を束ねる者がその組織の大小関わらず本来的には考えるべき(考えた方がよい)ことであると感じました。実際には難しいのだろうけど。

 

評価 ☆☆☆☆

2021/10/22

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