はじめに
自分の病気や親の痴呆をうけ、死について考えることが増えてきました。
で、とある日にブックオフに行って目に留まったのが本作。
石原氏は既に他界されていますが、本作上梓したとき、曽野氏90歳、石原氏89歳。この年齢で現役というのがすごいのですね。
これだけ死が近い年齢の人がどう考えているのが知りたく読んでみたものです。
大きく異なる二人のスタンス
で、読んでみましたが、なんというか、よく対談がまとまったな、という印象でした。
というのも、まるっきり二人のスタンスが対照的なのです。
曽野氏のスタンスは、もう頑張らない、なるようにしかならない、全ては神の思し召し、夫のものもすべて処分、亡夫もそれを願うはず、など。言ったら、ケセラセラの世界。
他方石原氏は、死にたくない、残りの時間も精いっぱい生きたい、生きた証を残したい、死後の葬式のことはすべて自分が決めている、等々。俺が俺が、的に見えます。
本一冊分(実際には本にならない部分も多くありましょうが)話すのですが、始終意見が食い違うのですね。
曽野氏のソフトな意見に、大概石原氏が「そうかなあ、僕はそう思わないなあ」という。石原氏の現世への未練について曽野氏は「そうしたいのであれば、それが天命ですね」「したいのだからなさったらいいですね」と受け止めるので、いっそう石原氏が偏狭に映ります。
大味な結果におわる!?
で、一冊読んで何か「おお」と思ったかというと、実はそれほど無かったというのが本音です。
曽野氏はキリスト者ということで宗教的信念から死を受容できているように思います。また身辺のモノについてもあまり執着がないようで、ご主人(作家)の原稿なども焼いて処分されています。この未練のなさもキリスト者というだけで結論づけられるものではないと思いますので、ここをもっと深堀り出来たら面白かったかなあ、個人的には。
石原氏に至っては、まだ生きたい、もっと生きたい、だけど体の自由が利かなくなって悔しい、みたいな執着の固まりみたいで、あんまり参考にならなかったかな。
もし、老境に差し掛かったけどこんな大きなことをしてしまった、死の恐怖をこうやって受け止めた、周囲の死をこうして受容した、みたいな論点があったらもっと私の役には立っていたかもしれません。
おわりに
ということで対談集でした。
対談で一冊になるとき、結論がぼんやりしてしまう典型だったかもしれません。その意味で、タイトル負け、でしょうか。
ただ曽野氏の人となりにはちょっと関心が湧きました。あれだけ泰然と連れあいの死を受け止められているのは凄いと思いました。
評価 ☆☆☆
2024/08/23

