はじめに
他の大河ロマン的なお話とはちょっと毛色が違った気がしました。
どんな話?
スーパー端折るとこんな感じ。
登場人物は神様、サタン、ヨブ(主人公)、よしてヨブの友人たち。
サタンと神は結託して無垢な人ヨブの信心を試す。サタンは、ヨブの財産を奪い、ヨブの家族を奪い、さらにはヨブの健康をも奪う。さらに友人たちはヨブを責め立てて、ヨブに何かよからぬことが有ったと指摘・非難する。さて、ヨブの信心は折れるかどうか。
実は折れなかった。
最終的に、ヨブは神を信じ切り、神は倍返しで彼の財産を増やし、健康も取り戻してあげた、めでたしめでたし、という話。
神の意志を人はわかる?
この章で考えてしまったのは、「人は神の意志は分かるのか」ということ。
友人エリフとヨブとの議論で、ヨブは「私は正しい。神よりも正しい」(うろ覚え)と述べる一方、エリフは「いいや、あなたは何かよからぬことをしたに違いない、でなければこんなことにはならん」と主張。
最終的には口の悪さ?をちょっと神様からたしなめられて、ヨブの信心は認められるのですが、もう一切悪いことをしていないヨブが「俺は正しい、なんなら神様が間違っている。てか早く殺してくれ」厭世的になるのも分かる気がします。
でも人間に世界すべてのことが見えるわけでもなし、ましてや神の意図が分かるわけでもない。であれば神の道を進むのに、何を信じればよいのか。
これまで見てきた旧約には多くの士師・預言者が出てきました。しかしそれが本当に神の言葉を伝えているかどうかは人間には分かりません。だって、ヨブ記にあるこんなS的プレイを神様が仕掛けるのです。であれば、こうした士師・預言者だって神様的トリック・偽物の可能性もあり得ます!
自分に良からぬことがあれば、日本人なら自分に原因を求めがちでしょう。でもヨブ記の場合、神様がいじっていただけだった。でも周囲はお前が間違っていたハズだと急き立てる。でも結局友人たちが間違っていた。
そういう意味では現代の牧師や神父、彼らを鵜呑みにすることも難しく、最も原初的で純粋な関係は神と本人との間にしかないな、と思いました。
おわりに
ということでヨブ記でありました。
今回も復習を兼ねて里中さんの「旧約聖書3」のヨブ記の部分を読みました。本の5ページもあったかな。短かったですね。
次は長大な「詩編」に挑みます。
評価 ☆☆☆
2024/10/09
これまで読んだ旧約は以下に。


